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★4運び屋(2018/米)所謂社会的マイノリティな人達との接触にて禁句的文言であけすけにコミュニケーションするアリー老人を憎めないとすれば、それは自作自演作家イーストウッドの映画的な「徳」故なのだろうし、そんな決して一般化、社会化されない“私性”で人物とその虚構をでっちあげる根性は、それが映画への信に基づくかぎり感動的ですらある。劇中唯一のキャメラ目線は図って観客の目線との無二の切返を演ずる。凄い、と言う瞬間。DSCH, ドド, ロープブレーク, ゑぎほか8 名[投票(8)]
★3耳をすませば(1995/日)アナログな生活の手触りは大切だ。 [review]おーい粗茶, AONI, ペンクロフ, トシほか6 名[投票(6)]
★3罵詈雑言(1996/日)秘匿された原発事故とそれにからむひとりの青年の死の真相を、監督の突撃取材と再現ドラマで追求していく映画。 [review]寒山拾得, neo_logic, 死ぬまでシネマ[投票(3)]
★3キングダム(2019/日)漫画的な漫画原作映画を今更慨嘆しても仕方ないとしても、やはり漫画的は映画的ではない。長澤吉沢がキャラ立ちするのは相対的に心理的演技が抑制されているからで、説明台詞と表情演技の学園内ヤンキー派閥闘争的な相対の構図の中には、言いたいことを言わず言えず、しかしそれゆえに行動で自己を証明しようとする、せざるをえない大人がいない。「ユメ」の一言で相克が背負えるのなら、人間は人間を殺しはしない。disjunctive, 寒山拾得, さず, ペペロンチーノ[投票(4)]
★3ソーシャル・ネットワーク(2010/米)「ゲーム」という児戯じみた陳腐な比喩が、社会を席巻するその事象にどうしても似つかわしいように思えてしまう歪。何に踊っているのか、あるいは踊らされているのかも判然としない、統覚不在の歪。そしてその中心(?)に居たのは、ある意味では単なるイノセントな青年でしかなかったという、物語化に伴う免罪符。〔3.5〕寒山拾得, DSCH, けにろん[投票(3)]
★3雪の断章 情熱(1985/日)どてらにパンツで泣きじゃくる六つの幼女。秋の平原を一人でさ迷う十八の娘。斉藤由貴がエロい。寒山拾得[投票(1)]
★2226(1989/日)「ショーワイシン」「テンノーヘーカ」、こういう言葉がほとんど不可避的にそらぞらしく響いてしまう、そのやるせなさ。歴史の断絶。けにろん[投票(1)]
★3ザ・ハント(2020/米)どこのだれなのか判るようで判らないかの人の、しかし終始宙ぶらりんで当てどもないようなその肖像の示す当惑、困惑の感だけは、分からないようで妙に分かる。そんな肖像を画面の中の実存として捉まえられれば、それだけでもかろうじて映画は映画足りえる。そしてかの人は息を吹き返すかのように笑う。そりゃあ、そうだ。けにろん[投票(1)]
★4ミッドウェイ(2019/米=中国=香港=カナダ)1937年、日米開戦以前の日本から始まる。 [review]ゑぎ, けにろん, 赤い戦車[投票(3)]
★4イップ・マン 継承(2015/中国=香港)子は親の背中を見て学ぶ、という映画。親は子を、子は親を「見て」いるし、また夫は妻を、妻は夫を「見て」いる。夫妻は正対して向き合うよりはむしろ並んで立ち(身長差!)、座り、そして背中を預け合う。ごく些細な所作や表情、人物同士の位置関係、時間的・空間的な意識ありきでこそ演出は単なる映像ケレンにとどまらないものになる。見て学ぶ、これこそ映画。3819695[投票(1)]
★3絶唱(1966/日)絵に描いたような純朴な山娘・和泉雅子の魅力が光る一篇。寒山拾得[投票(1)]
★4雨月物語(1953/日)極東の神秘の国、ジャポン。それは妖怪の棲む国だったのだ。 [review]irodori, けにろん, ちわわ, *ほか5 名[投票(5)]
★5風の谷のナウシカ(1984/日)画面の内外が絶え間なく断続する編集のキレを見せつけられるにつけ、編集とは削る作業だと感じさせられる。流動する世界そのものの全体の中から削り出すべきところだけを削り出し、その一連の断続が広大な世界の断片に宿るなけなしの真実の姿を黙って映し出す。皆が皆、生存圏=生存権を脅かされることで否応ない修羅場が生まれる。それでも一寸の蟲にも五分の魂を見出してしまう感受性ありきの世界。さず, DSCH, けにろん[投票(3)]
★4パターソン(2016/米)バスの車窓。敢えてゲームに譬えれば、世界(観)の広さ深さを覚えさせる細部と日常的活動の反復と蓄積により成立するオープンワールドRPG。切り裂かれた詩集。つながれた犬。詩作(思索)の人はその世界の破綻の予感に心密かに戦慄しながらまた同時にそれに期待するかの如く、「魚」が「豚」に堕し兼ねない際と淵をへ巡り歩く。詩人による詩人の映画。週一本, セント, けにろん, 水那岐[投票(4)]
★3私の奴隷になりなさい(2012/日)何も知らずに映画館で観た。「センセイ」の御登場がハイライトだった。真顔で繰り出す冗談みたいな絶妙なキャスティングで正直笑った。こういう映画は演者のキャラクターのチョイスが重要なのかも知れない。存在感では嘘をつけない。壇蜜のフルコンタクトの敢闘。寒山拾得, G31[投票(2)]
★3半世界(2019/日)あの些か時代がかった“番長”の少年が、ごく微妙に立居振舞にかもしだす「世界」と「世間」の軋轢の片鱗。それは日常の其処此処に潜在的に遍在していて、むしろ「世界」と「世間」の接点でさえある。物語としては唐突に、しかし映画としてはむしろ然もあろうという仕方で訪れる“出来事”、そして天気雨。つまり何かがズレている。しかしズレているその間隙にこそ人生の断面=物語は束の間露呈し、映画もまた映画になる。〔3.5〕ゑぎ, ぽんしゅう, DSCH, けにろん[投票(4)]
★3リチャード・ジュエル(2019/米)あまりにも凡庸なその人物に、タイトル「リチャード・ジュエル」は事件の名であって人物の名ではない、かと思わせつつ、しかしやはり最後は人物の名として腑に落ちる。「母親と暮らす醜いデブ」にも五分の魂を見出しえるか否か。描き出される人物への距離が、寄らず離れず、たがそれが映画の品になる。それが演出家にとって欺瞞のない距離だからだろう。けにろん[投票(1)]
★3響-HIBIKI-(2018/日)書棚の本をめぐる問答無用のやりとりで、これは本来が「相対」であつかわれる世界に「絶対」をもちこんだらどうなるかと言う話なのだと合点する。故に映画の中のその「文芸」に内実はむしろ無い方がよい。そのかわり映画に内実をこめるのは具体的な被写体としての演者達でこそあらねばならず、映画は光と音のケレンで、それを中心と周縁、即ち絶対と相対の一対一の対決として描き出すに専心する。〔3.5〕けにろん[投票(1)]
★4大菩薩峠・第2部(1958/日)光を失い、いよよバケモノ染みていく龍之介。 [review]寒山拾得, トシ[投票(2)]
★337セカンズ(2019/日=米)何度となくユマは寝床で目覚めて、自分の身を起こす。自分の身を起こすというアクションの為の目覚めなのか。女性達が体で表し、顔で伝える。車椅子は聖なる弱者の玉座ではなく、活ける実存の器となる。なけなしの具体性で現実と渡り合ってこその映画、そして物語。ならばこそ、遡行の旅程はより具体的な人生を賭した独力の冒険であるべきではなかったか。〔3.5〕けにろん[投票(1)]