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きめこめ

2017.11.15更新
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7あらすじ
2POV

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最近のコメント 10
★4パターソン(2016/米)バスの車窓。敢えてゲームに譬えれば、世界(観)の広さ深さを覚えさせる細部と日常的活動の反復と蓄積により成立するオープンワールドRPG。切り裂かれた詩集。つながれた犬。詩作(思索)の人はその世界の破綻の予感に心密かに戦慄しながらまた同時にそれに期待するかの如く、「魚」が「豚」に堕し兼ねない際と淵をへ巡り歩く。詩人による詩人の映画。[投票(3)]
★4ブレードランナー(1982/米)夜の映画ならぬ闇の中の光の映画。光は飽くまで間接に人物の肖像を照明し、街の片隅、裏側に息衝く実存の輪郭をこそ映し出す。巻頭唐突にインサートされるイメージショットが全編を貫く「瞳」のモチーフを予告する。「瞳」は「見ること」の象徴となりレプリが垣間見た世界の無償の美しさへの憧憬を掻き立てる。「闇の中の光」を「見ること」、即ち映画であり、この世界そのものの実存であり。[投票(4)]
★3ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ)ハリソンさんのあたふた、ドタバタ、ケーハクなニヤケ、それこそが街の片隅、裏側を駆けずり回り、這いずり回る人間デッカードの実存そのものだった。世界の命運や探求の問答とは無縁に刹那の生を走り抜けることの自由こそが肯定されたオリジナルの作劇が、スピルバーグA.I.』的に肥大化されることでむしろ矮小化。Kの造形は徹頭徹尾そのままであらざるを得ない悲哀へも愛嬌へも突きぬけず。[投票(1)]
★4ぼくの伯父さん(1958/仏=伊)車達が整序並列して道路を進む。ユロ氏がアパートを、路地を、新宅を、工場をその覚束ない前傾姿勢で歩き回る。犬コロ達も子供達も一見自由だがしかし野放図ならず。それら企図された秩序とその振幅の中に生まれる動線のユーモア。尤もらしいだけの現実的SEを極力排することでSEはむしろ自律的な符牒と化し、その逆説でアクションはサイレント映画の体を為す。自己抹消とその「寅さん」的ダンディズム。[投票(3)]
★3三度目の殺人(2017/日)凝視の効用。その人の貌がその人の貌であることをやめて、既知の表情が未知の面影を宿し始める。それはそれで映画的なイメージの融解と結合の瞬間なのかも知れず。落とした涙の「真偽」をめぐる反問は、それが何より映画の中の虚構であることを通じて映画論的言及の端緒となる。映画とは人々が信じたがる物語の「空っぽの器」。しかし「空っぽの器」は人々が信じたがる物語ではない。〔3.5〕[投票(2)]
★4白夜(1971/仏=伊)人物が肩越に振り返る仕草が多い。しかしそれによって視線の印象が強調される。もっと言えば、人物から人物に投げかけられる感傷的関心こそが強調される。若い女が鏡に映る自身の裸身を見るその視線もまた肩越、見られる体と見る顔とがショットとして分割されることで、若い女の自身への感傷的関心=ナルシシズムが印象づけられる。ブレッソン的身体は自然な統合を生きない。[投票(3)]
★2彼女の人生は間違いじゃない(2017/日)長廻しは特定のショットを見出せない為の長廻しでしかないように見え、クローズアップはこれ見よがしの演出意識の沈滞でしかないように見え、人物達のセリフ回しはいかにも説明的に聞こえ、不意に挿入される原子力発電所や核廃棄物処理場のイメージショットは具体的に物語へと止揚されることもない。その事象関連のありがちな挿話が集められているだけに見える。[投票]
★4アデルの恋の物語(1975/仏)「情熱的な恋愛とその成就」と言う一人の才気ある娘が夢想した自己実現の物語は、「偉大過ぎる父親」と言う桎梏に暗に縛られ続け、遂に挫折する。娘はその名前を無言のまま鏡の表に指で描き込み直ぐに揉み消す。手紙が介したその「物語」の宛先にこそ、娘が拘り続けた本当の相手がいた、と言う物語。[投票(3)]
★3山の焚火(1985/スイス)姉弟、父母、祖父母の三世代の人間、三組の男女しか出てこない。遠眼鏡、虫眼鏡、あるいは手鏡や姿見は無論「見る」為の道具だが、それで見いだせるのは御互いに合わせ鏡のような存在でしかない肉親同士のみ。見つめ合うことは御互いを呪い合うこと。呪いによって結びつけられる男女=夫婦=家族。それ故に蠱惑的な「家族」の死の物語り。[投票(1)]
★3関ヶ原(2017/日)ビジネスマンや経営者の群像劇に見えてしまうのは、やはり「間」や「タメ」を敢えて排したのだろう演出による。その為に失われたように見えるのは人物同士の内実あるドラマ。象徴的なのは主役たる家康と三成の間にさえまともな視線の切り返しがないこと。それも“敢えて”だろうが、結局決定的場面ナシの印象に至る。[投票(2)]

Plots

最近のあらすじ 5
★2幸福 Shiawase(2006/日)白夜の季節の北海道・勇払。その田舎町の無人駅に一人の男(石橋凌)が降り立った。男はさすらう風にその誰もいない田舎町の道を歩き、やがて小さな公園で倒れてしまう。かたや同じ田舎町の道を一人の女(桜井明美)が歩いていた。女は町角で見つけた募集告知に引き寄せられてある場末のバーの女給になる。そして女は、行きずりに男を拾う。行く当てのなさそうにしている男を、女は自分の部屋に呼びいれる。男にしがみつく女。そして一夜を共にした二人は、その日から奇妙な共同生活を始めることになる。〈106分〉[投票]
★3タルチュフ(1926/独)偽善を働く家政婦に騙されて、財産を家政婦に譲ってしまおうとしている老人がいた。老人には俳優をやっている孫がいたが、財産を狙う家政婦に偽りの不行跡を吹き込まれて、すっかり信用をなくしていたのだ。そこで孫は家政婦の偽善を暴くべく一計を案じる。それは映画の興行師に変装して祖父の家を訪ね、そこである映画を上映して見せるというものだった。そしてその映画こそは、偽善を働く似非聖職者タルチュフがその悪事を暴かれる映画、「タルチュフ」だった。モリエールの戯曲を、映画中映画という入れ子構造の手法で映画化したムルナウの作品。〈71分〉[投票]
★3路上(1996/日)重い外套を羽織って新宿の路上を独り彷徨する女の映画。神代辰巳のもとで助監督を勤めた経歴のある鴨田好史が、その遺作『インモラル 淫らな関係』の残フィルムで撮影した、言わば神代辰巳への鎮魂のフィルム。〈42分〉[投票]
★3アフリカへの想い(2002/独)かつての伝説的映画監督レニ・リーフェンシュタールが、長い沈黙を経て1973年に発表した写真集「NUBA ヌバ」は、一部にはファシスト的との評も受けながら、大きなセンセーショナルを呼び起こした。それから30年、かつて生活を共にし、友愛を育んだヌバ族の人々と再会するため、レニは再びアフリカの地へと旅立つ。今は内乱続くそのスーダンの地で、果たしてレニはヌバ族の人々と再会できるのか。当時100にも近い年齢を重ねて尚盛んな活動力と生命力を見せていた女傑の、その旅の過程を追跡したドキュメンタリー。〈60分〉[投票]
★2呪われた森(1980/米=英)音楽家の父親をもつアメリカ人の一家がイギリスへとやってくる。一家は新居として紹介された鬱蒼とした森の中に建つ大きな館にやってくるが、その家主であるエルウッド夫人(ベティ・デイヴィス)は気難しげな表情で一家を眺め、そして長女のジャン(リン・ホリー・ジョンソン)に目を留めて、一家を受け容れることを告げるのだった。やがて館に住み始めたジャンはじめ4人の一家だったが、住み始めたその日から、ジャンのまわりには奇妙な出来事が起こり始める。そしてやがてジャンは、そのことがエルウッド夫人の30年前に失踪した娘、カレンの存在と関係があるらしいことに気がついていくのだった。〈84分〉[投票]

Points of View

ジャンヌ・ダルクの映画[投票(1)]
ジャンヌ・ダルクを描いた映画。ランクは年代順。
宮沢賢治と日本の映画[投票]
A:宮沢賢治の生涯、B:宮沢賢治の原作。原作作品は、やはりアニメーションが多い。
ケルベロスもの[投票]
押井守の趣味世界。
アントワーヌ・ドワネルもの[投票]
フランソワ・トリュフォーの自伝的連作。
勝手にしやがれ!!シリーズ[投票(1)]
黒沢清の95年から96年にかけての連作。ハードボイルドより軽妙洒脱な“ハーフボイルド”・シネマなんだとか。この連作はその後の『CURE/キュア』以降の作品への助走とも言える。