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disjunctiveさんの人気コメント: 更新順(27/35)

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★3組織(1973/米)この試練の緩さや甘さを、ロバート・デュバルの薄毛に対して行われた、格差是正的な措置の表れだとは思わせない人徳が当人にある。特に、救急車で脱出する件とか。語り手の同情というよりも、薄毛性がロバートを救っているという感覚である。ゑぎ[投票(1)]
★4追想(1975/仏)メタボを戦闘機械にするのは、自身がメタボであるロベール・アンリコの邪念であるが、フィリップ・ノワレはこの邪念に対応しながらも、やはり体は正直で、交戦後に草むらに転がり喘ぐ場面の尺は長い。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★3鴛鴦歌合戦(1939/日)冒頭のディック・ミネがよかった。あそこで彼は、人格という見ない現象を、ただ楽曲に応じて挙動することで短時間のうちに表現してしまう。3819695[投票(1)]
★4ゼロ・グラビティ(2013/米)ペース配分が気になった。序盤の、クルーニーの白馬王子化を超える感傷がなく、結果、ソユーズ内の愚痴が、コンフリクトとしては長く機能しすぎな印象を受ける。この重さは、サンドラの性格造形に疑念を及ぼす。 [review]3819695[投票(1)]
★3のぼうの城(2011/日)甲斐姫が動機になっているように見せたいのは理解できる。が、この観点からオチを観測すると、そもそも最初から戦いは不要という結論に至りかねない。 [review]3819695[投票(1)]
★3ヘルタースケルター(2012/日)映画の水準に達していない質感が、様々な効果を生んでいる。この質感は、りりこの自室の美術に叛乱を起こしながら、寺島しのぶの世界をまがまがしく屹立させる。 [review]3819695, DSCH[投票(2)]
★3運動靴と赤い金魚(1997/イラン)階級の再生産から脱しようとする普遍的な主題を定着させている。庭師の件で、息子に発現した教育の効能を父親がよろこぶところが、その最たるもので、同時に、そうすることで父親は自らの造形的な奥行きを広げている。 [review]けにろん[投票(1)]
★4エクスペンダブルズ(2010/米)教会の会話が典型的で、記号的造形が予想通りの記号的台詞を並べ、記号的振る舞いをする。ところが最後になると、ジェイソン・ステイサムのポエムに心の底からキャッキャする自分がいる。愚直に記号を重ねることで、彼らは血肉を得るのだ。DSCH[投票(1)]
★4別離(2011/イラン)深刻な課題とした地理の遠隔性が、エキサイトする話に引きずられ、やがて人々は縦横無尽に移動できることになる。かかる曖昧さは、本作の緊張の依拠となる子どもの罪悪感をわれわれが想像し共有する能力をも奪いかねない。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★3ダラスの熱い日(1973/米)オッサンらの祝祭のような砂漠の火遊びが、既知の反復へと還元されてゆくこのつらさは何であろうか。語られているのはキャラクターではない。単なる属性の運動なのだ。ぽんしゅう[投票(1)]
★3ミッドナイト・エクスプレス(1978/米)司法も雑であれば、刑務所の管理体制も雑で、このままだと場当たり的な話にしかならない。何か論理的なことが行われていたという実感をもたらす尽力は認められるものの、構成への意欲は、冤罪感を醸すような、受け手に感傷を駆り立てる試みに堕している。ぽんしゅう[投票(1)]
★3ディーバ(1981/仏)説明のつかないガジェットは無数にあって、そもそも根本から、ディーバなしに成立する話である。それらが存在せる理由を求めて、カメラは虚空をさまよい、かと思えば、カットを割り出してしまう落ち着きのなさで、映像文法がシナリオの提示に戸惑っている。けにろん[投票(1)]
★4ドラゴン・タトゥーの女(2011/米=スウェーデン=英=独)モニターの前でオッサンと並んだリスベットがLOVEずっきゅん。実にけしからん文系オッサンの邪念である。いや、それはよいのだが、文系オッサンにクレイグをあてがって受け手の認知構造を混乱させるといった誤魔化しのスケベ根性が気にくわん。プロキオン14, ホッチkiss[投票(2)]
★4悪の教典(2012/日)仕事ができることの徳性を、理念的な舞台を設定することで、抽出しようとする志向は、生徒らを技術的特性で分類して組織化する試みからも、明らかだろう。かかる徳が、徳とは全く反する現象から浮かぶ様には、独特の眩惑がある。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★3閉ざされた森(2003/カナダ=米=独)トラボルタの視点が入ってしまうことが問題で、ミスリーディングとして機能させてはいるのだが、オチを考えれば、これはノックスの十戒に違反してはいないか。 [review]けにろん[投票(1)]
★4ムーンライズ・キングダム(2012/米)理屈倒れになりかねない過密な美術は、はっきりと方向を限定されるゆえに運動の徴候を持ち得た画面やキャラクターと劇伴の歩調によって彫琢され、移動をしている実感をともないながら、空間と感傷の旋律線を形成する。 [review]けにろん, ぽんしゅう, DSCH[投票(3)]
★3アラビアのロレンス(1962/米)戦争神経症やセクシャリティの問題など、個人に発現した課題が、民族的憐憫と取り違えられている。あるいは、より意図的に、問題を個人に限定するか、社会経済に拡散させるか、場面に応じて使い分けがなされている。 [review]けにろん[投票(1)]
★3カールじいさんの空飛ぶ家(2009/米)階段を電気椅子で昇降していた老人の足腰と、野犬と乱闘する老人のそれに、もはや一貫性を見出だせない。かかる断絶は、アクションの切実さをブロックするにとどまらない。 [review]緑雨, DSCH[投票(2)]
★3レベッカ(1940/米)女には語りうるに足る生活の実体が設定されていない。女の幸福を願おうにも、その手掛かりがなく、話の興行性は、災難に対する対処療法的な挙動に担われがちだ。 [review]3819695[投票(1)]
★3モーターサイクル・ダイアリーズ(2004/米=独=英=アルゼンチン)序盤で興行性の中心を担っていた移動の困難が、次第にスポイルされてしまう。もはやタイトルが話の実体を表現しきれないほど、地理感覚が寸断され、場面の有機的な連携が見えなくなる。 [review]3819695[投票(1)]