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disjunctiveさんの人気コメント: 更新順(28/35)

人気コメント投票者
★3愛のメモリー(1976/米)いかにもデ・パルマらしい、大仰な絵面を最後に見せられて、驚いてしまった。こんな感傷的な話だったのかと。 [review]ぽんしゅう, けにろん[投票(2)]
★3ウォルター少年と、夏の休日(2003/米)疑似家族も全能感も、少年ではなく、老人の願望充足を想定している。しかし、その全能感のあり方は若々しく、少年の想像力に依拠して、老人の願望を当て推量した結果、欲望の誤配線が生じているように見える。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★3小さな恋のメロディ(1971/英)男女の間に介在する求愛の非対称性に言及がない。男が女に惚れるのに説明は要らないとしても、では、なぜ彼女はこの男に? われわれが感傷を見出すのはかかる非対称において他はない。 [review]けにろん, DSCH[投票(2)]
★3パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン) ヴィダル大尉(セルジ・ロペス)のひげそりが見事で、この豊饒な情報量を超えるものが作中に現れない。彼は、トロのマンガ的想像力を引き立てるどころか、マンガであることの根本的な貧困を知らしめてしまう。 [review]ゑぎ[投票(1)]
★3恋におちたシェイクスピア(1998/英=米)興行主のトム・ウィルキンソンは、成長できるキャラ造形という点で、時間経過の指標となる。対照的に、ヴァイオラ側は、もはや変わりようがないという特性を引きずっている。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★3ハート・ロッカー(2008/米)発汗とか唾液とか、体液への興味を充足させるアイテム(ストロー、カートリッジ)の強引な使い方がフェチを煽る所もあって、寄りがちな画面も生理的な興味と解せばCQBの誤魔化しとばかりは言えない。しかし雨樋を滴る水まで粘性を獲得するのは露悪的か。DSCH, 赤い戦車, ゑぎ, 3819695[投票(4)]
★3北国の帝王(1973/米)本当に下らない映画で、なぜこの老人たちがこんな価値のないことをめぐって憎み合い殺し合うのか、その動機のなさに唖然としつつも、不可解だからこそ感動を煽られる面もある。貨車の屋根をコロコロと進むアーネストのメタボ体の画面映えが激しい。 [review]DSCH, ぽんしゅう, けにろん[投票(3)]
★4冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(2009/香港=仏)意味を失わなければプロ根性を確証できない倒錯も作品そっちのけで表現者の限界に挑むサイモンの歓喜もしょせんは好ましい馴れ合い。この楽園から疎外された異邦人に手をさしのべるのは、ジョニー・トーの大いなる天然。3819695[投票(1)]
★3サンダーボルト(1974/米)追っ手のジョージ・ケネディは魔法のように移動し、遊び半分のバイトはエリコンの20mmに易々と行き着く。プロセスがないというよりシーン相互の論理的な接続が弱い。ニューシネマという型が先行し、そこにエピソードを詰め込もうとしている。 [review]3819695[投票(1)]
★3眠狂四郎無頼剣(1966/日)裸体を挟んで禅問答するコントを、天知は「ムフフ」と余裕で演じ、対して雷蔵は大まじめにやっている。結果的にどちらが物語に資するのか、永遠の問いかけがある。寒山拾得, ペペロンチーノ[投票(2)]
★4柔道龍虎房(2004/香港)乱取りでアーロンもルイスも微笑み合っちゃって、ああっ、もう、イヤっ!――なウェス・アンダーソン meets 鈴木清順。相変わらず訳がわからんが、相変わらず素晴らしい。赤い戦車, たかやまひろふみ, けにろん[投票(3)]
★4マレーナ(2000/米=伊)興行上、ファシズムの農村近代化を検討する立場を避けねばならないのは理解できるが、他に家計の手段があったと思わせることが話をスポイルするとすれば、近代化の肯定以外の何物でもなくなるのではないか。Orpheus[投票(1)]
★4暴走機関車(1985/米)ヴォイトの発狂の唐突さから、過去の経緯の強度を立証するのはよいが、スーパー所長ライアンが実際に愛を暴力的に確認する場に至ってヴォイトに尻込みしては、行動の正当性に対する責任が曖昧になる。不条理なオヤジどもが体を張ってエリックを教育した趣。ぽんしゅう[投票(1)]
★3大陸横断超特急(1976/米)造形から意外な職能を引き出して好意を見立てる手管は、相手側のレイ・ウォルストンの職人根性にも反映されるほど一貫しているのだが、この手の愛顧と好意を展開は、情報の開示性ゆえに、切迫感の記述と対立してしまう。赤い戦車[投票(1)]
★4隣の女(1981/仏)行動する人への教訓を笑いで眩惑するのもまた教育的措置の変異と解せる。しかし、あくまで笑いを圧政的にしない作詞法はやさしさでもあろう。ゑぎ[投票(1)]
★3髪結いの亭主(1990/仏)実体経済に裏打ちされない架空戦記状のロマネスクが、オッサンのヒモ生活という類型に破壊されようとしている。経済の論理文法を当てにできない舞台にあっては、どのようにして、行為のもつ悲壮感を知覚すればよいのか。DSCH[投票(1)]
★4マジェスティック(2001/米)人物の自律性を担保する公準に自信がない。恣意的に造形を帰属させるにつれ、人物を意味ある現象として語り得なくなってしまう。そこで作り手が政治的冒険に情緒を訴える資源を見出すのは、それはそれで作劇の実践なのだろうが、人情がないとも思う。ダリア[投票(1)]
★4まぼろし(2001/仏)ほんらい全宇宙のメタボにとっての朗報だったはずだ。しかし、シャーロットの田原総一郎化した頽朽の顔面は、ラストの浜辺のごとく、不幸に対する敬意をあくまで拒絶する愛の遠近感覚でわれわれを苦しめるのである。けにろん[投票(1)]
★4アフタースクール(2008/日)情報開示の驚きは重視せず、イベントに対するキャラの反応が彫琢してゆくアレゴリーの方へ受け手への感化を託した場合、救いの指標が不明瞭になるのはよくないと考える。 [review]ぽんしゅう[投票(1)]
★4サブウェイ・パニック(1974/米)セクシィヴォイスで安心させておきながら、役に立っていない総監。修羅場に強すぎる市長夫人ドリス・ロバーツ。スリラーが後景に引いて現れるのは人間であり、その最たるものが、プロ根性とやせ我慢の織りなすロバート・ショウの好ましい気韻だ。ぽんしゅう, けにろん[投票(2)]