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★4 | 女と男の観覧車(2017/米) | 場末が場末になりきれない極彩色の地獄が歪ませる空間感覚。緊張の幕間に火遊びをして釣りをやるオフビートで歪む時間感覚。時空からの疎外された人間の荒廃した境遇を作者は観察するだけだが、詠嘆が叙景で代替されるに及んで視点だけは50年代時空を回収。 | DSCH, ぽんしゅう, けにろん | [投票(3)] |
★4 | 連合艦隊(1981/日) | 『男たちの大和』がプライベート・ライアンならば、こちらはポセイドン・アドベンチャーの趣で、個々人の生存の可否に受け手の興趣を賦活させる手管に優れる。財津&中井親子の長生きネタなどは、論理志向が過ぎてブラックヒューモアに近い。 [review] | ぽんしゅう | [投票(1)] |
★4 | 真昼の決闘(1952/米) | 行政が浸透しない方が経済成長すると町長トーマス・ミッチェルが演説をする一方で、フランクの手下が強奪を働く。この世界観の混乱は、意図的であろうとなかろうと、クーパーの意気地から社会性を失わせ、それを単なる迷惑に見せてしまう。 [review] | けにろん | [投票(1)] |
★4 | アシュラ(2016/韓国) | ビッグブラザー並に知らないことはない検察側がキャラのプライバシーを許容しないために、修羅場に直面した人間の機知ではなく、むしろ覚悟と開き直りを観察する、対比列伝のような根性論が志向されている。 [review] | ペンクロフ, DSCH, けにろん, ぽんしゅう | [投票(4)] |
★4 | ミッドサマー(2019/米=スウェーデン) | 第一の難関、アジの開きでゆるふわなゴアという芸術が達成されている以上、あとは行動を通じた事態の再演と点検に過ぎないから、そういう曖昧な時の経過に身をゆだねるフローレンス・ピューの幼児体型のフワフワには抗しがたい蠱惑と嗜虐を誘われるものの、 [review] | DSCH, ゑぎ, ぽんしゅう, けにろん | [投票(4)] |
★4 | 遠雷(1981/日) | 田植え、介護等々、永島敏行が徳の実践を重ねる程に、かえってアタラクシアの危うさが喚起される。モンテーニュによれば、もっとも美しい生活とは奇蹟も異常もない生活であるそうだが、 [review] | 寒山拾得 | [投票(1)] |
★4 | 王将(1948/日) | 筋はつながらない。技術力がカットはつなげてしまう。阪妻の不可解な情熱は技術の例化なのだが、偶然以外に阪妻と交信する術のない水戸光子は宗教的情熱という放心に至り、頻度ないし霊感に交信を賭ける。 [review] | 寒山拾得 | [投票(1)] |
★4 | この子の七つのお祝いに(1982/日) | 岩下志麻(40)をセーラー服で飾る超時間感覚が虚偽記憶の寓意となる。無駄に悶絶する杉浦直樹から名古屋章に至る、80年代の絢爛なオッサンコレクションに際し、増村保造の叙法は頑としてノスタルジーを拒絶するのだ。 | ぽんしゅう, けにろん | [投票(2)] |
★4 | 夜に生きる(2016/米) | 観光とナンパから始まって挙句にKKKから宗教右派へ。御曹司集団劇という特殊形態の中にやがて何とも抗しがたいベンアフ文芸の秘密が花開く。ダイコンという恒常性の船に乗って、波乱にとんだ世界の荒波を彼は乗り切ったのである。 | jollyjoker, けにろん | [投票(2)] |
★4 | さらば愛しき大地(1982/日) | 80年代の豊饒が場末感を許さないから、叙法はスコセッシ&レオ的なドラッグムービーに似てくる。それは好ましい皮相であって、悲惨を餌食としはしない高潔が、矢吹二朗という俳優の実存論になっている。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 浪人街(1990/日) | 江戸東京博物館の常設展示的バロックというべき意匠の欠如。それをまとめ得る田中邦衛の悲劇が、勝新の諦観をミスリードする遠心力に巻き込まれる。劇の構造はぼやけ続け、死に花を咲かせと自己顕示欲が互いを包含する。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 魚影の群れ(1983/日) | 昼間からラーメンと焼酎を喰らっても悲酸を呈しない円楽のキレ具合。顔貌と釣り合わない夏目雅子の昭和な形姿。マグロの、如何にもマグロな覇気のない殺戮。場末を模倣しようとしたアイドル映画の文体的内破である。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | その夜の侍(2012/日) | 懲悪物に全振りはしない。山田孝之の悪がある域を超えると、綾野剛から突っ込みが入る。ストレスがなくてよい。終盤の堺 vs 山田はワンカットのむつかさしさで、憎悪というより配慮の作劇に見えてしまう。 [review] | けにろん | [投票(1)] |
★4 | アキレスと亀(2008/日) | 内面のわからない人であるから、この男をどう扱ったのかという、たとえば六平直政のように周縁の人物を聖化する方向へ自ずと進み、その究極として樋口可南子の聖母化であるが、そこで気づくのである。 [review] | DSCH | [投票(1)] |
★4 | 最も危険な遊戯(1978/日) | 声だけ聴いてれば原田芳雄パロで済ませられる。ガタイが異なるから原田を肉体の内に同定できない腹話術のような実存の不安が生じる。それはトランスジェンダーのような中性的な口振りであったり、歩くだけで曲芸になってしまう重心高い体のブレであったり。 [review] | DSCH, ゑぎ, ぽんしゅう, けにろん | [投票(4)] |
★4 | 拳銃(コルト)は俺のパスポート(1967/日) | 宍戸錠、そのアンパンマンのような頬が小林千登勢に惹かれ膨張する。膨張の極限には自壊がある。おのれの頬と向き合った彼は独り埋立地に赴く。頬の膨らみを遮るものはもはやない。が、次の瞬間、それは穿孔に嵌る。その快。 | ゑぎ | [投票(1)] |
★4 | 座頭市血笑旅(1964/日) | 不幸は拡散することで人を繋ぐ。拡散には空間が必要だ。空間を描画するのは、おしめ探索による遠近法である。理詰めの筋はドミノ倒しのように軽く忙しく疑似家族を流転させる。引きとどめるのは加藤嘉の類型の重さである。 | ぽんしゅう, けにろん | [投票(2)] |
★4 | 台風クラブ(1984/日) | 表現を顔貌に頼れないなら行動の人になる他ない。多動の人々が一定の空間に追い込まれ、机を組み合わせる落ちゲーに勤しみ、感情の物体化を試みる。現実化さるべき彼岸は土曜半ドンのノスタルジーという台風明けの霊界だ。 | ぽんしゅう | [投票(1)] |
★4 | レイニーデイ・イン・ニューヨーク(2019/米) | 類型を同定する力は自分を知りたい願望であり、その副作用たる脊髄反射の集積としての生体の機械感(ピアノで発情!)。その実体化としての悪趣味寸前の美術の集積度。作者の好きなものしかそこには映らない。自分の中に没落していくその無窮動の威力。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 蜜蜂と遠雷(2019/日) | 斉藤由貴を頂点とする恐るべき群集自己愛劇。ただ一人自己愛を抑圧する松岡茉優の眼力は、腸からの失気を恐れるかのように不自然だ。遠雷とは自己愛の腹鳴。心傷への酔い痴れには漏れ出る気体の芳しさがある。 | けにろん | [投票(1)] |