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★4 | さらば愛しき大地(1982/日) | 80年代の豊饒が場末感を許さないから、叙法はスコセッシ&レオ的なドラッグムービーに似てくる。それは好ましい皮相であって、悲惨を餌食としはしない高潔が、矢吹二朗という俳優の実存論になっている。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 浪人街(1990/日) | 江戸東京博物館の常設展示的バロックというべき意匠の欠如。それをまとめ得る田中邦衛の悲劇が、勝新の諦観をミスリードする遠心力に巻き込まれる。劇の構造はぼやけ続け、死に花を咲かせと自己顕示欲が互いを包含する。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 魚影の群れ(1983/日) | 昼間からラーメンと焼酎を喰らっても悲酸を呈しない円楽のキレ具合。顔貌と釣り合わない夏目雅子の昭和な形姿。マグロの、如何にもマグロな覇気のない殺戮。場末を模倣しようとしたアイドル映画の文体的内破である。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | その夜の侍(2012/日) | 懲悪物に全振りはしない。山田孝之の悪がある域を超えると、綾野剛から突っ込みが入る。ストレスがなくてよい。終盤の堺 vs 山田はワンカットのむつかさしさで、憎悪というより配慮の作劇に見えてしまう。 [review] | けにろん | [投票(1)] |
★4 | アキレスと亀(2008/日) | 内面のわからない人であるから、この男をどう扱ったのかという、たとえば六平直政のように周縁の人物を聖化する方向へ自ずと進み、その究極として樋口可南子の聖母化であるが、そこで気づくのである。 [review] | DSCH | [投票(1)] |
★4 | 最も危険な遊戯(1978/日) | 声だけ聴いてれば原田芳雄パロで済ませられる。ガタイが異なるから原田を肉体の内に同定できない腹話術のような実存の不安が生じる。それはトランスジェンダーのような中性的な口振りであったり、歩くだけで曲芸になってしまう重心高い体のブレであったり。 [review] | DSCH, ゑぎ, ぽんしゅう, けにろん | [投票(4)] |
★4 | 拳銃(コルト)は俺のパスポート(1967/日) | 宍戸錠、そのアンパンマンのような頬が小林千登勢に惹かれ膨張する。膨張の極限には自壊がある。おのれの頬と向き合った彼は独り埋立地に赴く。頬の膨らみを遮るものはもはやない。が、次の瞬間、それは穿孔に嵌る。その快。 | ゑぎ | [投票(1)] |
★4 | 座頭市血笑旅(1964/日) | 不幸は拡散することで人を繋ぐ。拡散には空間が必要だ。空間を描画するのは、おしめ探索による遠近法である。理詰めの筋はドミノ倒しのように軽く忙しく疑似家族を流転させる。引きとどめるのは加藤嘉の類型の重さである。 | ぽんしゅう, けにろん | [投票(2)] |
★4 | 台風クラブ(1984/日) | 表現を顔貌に頼れないなら行動の人になる他ない。多動の人々が一定の空間に追い込まれ、机を組み合わせる落ちゲーに勤しみ、感情の物体化を試みる。現実化さるべき彼岸は土曜半ドンのノスタルジーという台風明けの霊界だ。 | ぽんしゅう | [投票(1)] |
★4 | レイニーデイ・イン・ニューヨーク(2019/米) | 類型を同定する力は自分を知りたい願望であり、その副作用たる脊髄反射の集積としての生体の機械感(ピアノで発情!)。その実体化としての悪趣味寸前の美術の集積度。作者の好きなものしかそこには映らない。自分の中に没落していくその無窮動の威力。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 蜜蜂と遠雷(2019/日) | 斉藤由貴を頂点とする恐るべき群集自己愛劇。ただ一人自己愛を抑圧する松岡茉優の眼力は、腸からの失気を恐れるかのように不自然だ。遠雷とは自己愛の腹鳴。心傷への酔い痴れには漏れ出る気体の芳しさがある。 | けにろん | [投票(1)] |
★3 | スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け(2019/米) | 死んだり蘇ったり、実に忙しい。雌が強すぎる気まずい三角関係は特異な死生観の結果なのか。生物の必然性から逸脱した事態に際して、感情を文芸的に拗らせようもなく困惑するボイエガ。対してドライバーの馬面が為す術もなく伸びやかになる特殊顔相学の夕べ。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | レヴェナント:蘇えりし者(2015/米) | 災厄の起原がレオの技量不足にあると見なしてしまえば、恨みの持って行きどころがなくなる。技術的な関心に終始するとなると、一定しないレオの造形がノイズとなってしまう。冒頭の彼と、中盤の逃走者としての彼と、終盤のハンターとしての彼が別人に見える。 [review] | おーい粗茶, DSCH, 3819695 | [投票(3)] |
★4 | ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ) | 80年代コテコテ美術を景物映画の高雅な文体で模倣しようとする気の狂った開き直りである。あるべき什器の質感を求める彷徨は記憶をめぐるそれと重なり、悲劇的な気分を高める。 [review] | 週一本, ゑぎ, けにろん | [投票(3)] |
★4 | ライフ(2017/米) | 技術職というパーソナリティを極限にさらす実験は恐怖をなぜかフェティシズムすらをも内包した粘性の官能として叙述してしまう。 [review] | DSCH | [投票(1)] |
★4 | 息子のまなざし(2002/ベルギー=仏) | 一発芸の衝撃が文芸的課題の余韻を残さず、事を制度運用の欠陥というか、単にテクニカルな問題に還元するように見えた。こうなるとガン見せざるを得なくなるのは、バゲットサンドをシマリスのように頬張る福田康夫(オリビエ・グルメ)の愛らしき生態そのもののように思われてくる。 | ゑぎ | [投票(1)] |
★3 | 日曜日が待ち遠しい!(1982/仏) | ファニー・アルダンの堤真一顔が、なめらかなシトロエンの平滑面に映えながら街路を運ばれてゆく。その野性的な顔貌を隣でトランティニャンが不安そうに見守っている。 | けにろん | [投票(1)] |
★4 | 96時間(2008/仏) | 画面はフィックスがちで、人物の縦横も簡素である。奥行きに対するストイックな態度は、次々とやって来る早漏めいた編集点によって代替され、三次元空間を前提にできないジャンルアニメのようなカット割りに。 [review] | おーい粗茶, DSCH, 3819695 | [投票(3)] |
★4 | アリー/スター誕生(2018/米) | 人の踏み台になる宿命をいかにしてリラックスして受け入れるか。その踏み台の象徴を担うのが運転手のオッサンらであるが、初めて踏み台となったクーパーの悲愴な反応が実は誰もリラックスなどしていなかった結論を引き出して庶民賛歌となる。 | ALOHA, 3819695, けにろん | [投票(3)] |
★4 | マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015/豪) | スプレンディッドを投げ込まれ、キャデラックを転倒させるイモータン・ジョーがわたしにとっては痛切である。ウォーボーイの扱いからもわかるように、生物としての雄の哀しさを表現したい向きがあり、そこに敏感に反応する層への配慮も見られる。ところが [review] | おーい粗茶, DSCH | [投票(2)] |