★4 | 全てを見届け、これから長いのか短いのか分からぬ人生の午後を生きていく老貴族の熾き火のような感情を、克明極まりない演技で見せ付けられる。自分の属する階級への愛着と時代に取り残される忌避感覚の複雑な混交が、ベラスケスの絵画のように濃密な画面の中で展開する、その激しさ。 (ジェリー) | [投票(2)] |
★5 | 映画史上の最高の撮影者はジュゼッペ・ロトゥンノじゃないかと思えてくる。本当に全カットに亘って完璧な撮影だ。全カットが「映画は画面だ」と静かに主張しているかのようだ。白い布地(冒頭のカーテン、ピクニックシーンの敷布等)の触感や舞踏シーンで手を繋いで円環となる演出は特記すべき。ベルトルッチへの継承。 (ゑぎ) | [投票(5)] |
★5 | ビスコンティ前期の最高傑作。この精神が後期に試行錯誤の上、後期に生かされてゆく。 [review] (chokobo) | [投票] |
★4 | ヴィラボスコグランデの壁紙や家具調度、舞踏会の貴婦人たちの衣装や装飾や髪型、貴族の服の生地や仕立て、など全てが最上質。街の石造り、屋根瓦、砂埃まで上質に見える。カルディナーレとドロンの官能的な追いかけっこ。 (動物園のクマ) | [投票(1)] |
★4 | 正統ヨーロピアン保守の戸惑いが公爵の茫漠とした表情に滲む。過去の秩序に学び必要最小限の“変化”を受け入れるのが保守の流儀であり矜持。だが時代の変化は想像を超えていた。彼も気づかぬうちに受け入れざるを得なかった“妥協”の代償はあまりに大きかった。
(ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★4 | 革命に湧く激動の時代を皮肉に見つめる。これこそがヴィスコンティの視線。 [review] (甘崎庵) | [投票(2)] |
★3 | 若いアラン・ドロンの美しさに、滝のよだれ (ボイス母) | [投票(1)] |
★3 | 自ら為すべきことの凡てを理解し、受け入れた預言者の「わかっちゃいるけど、堪えられない」その哀切。死して悠久たる歴史の一部となることに喜びを感じ得ることが貴族の資格であるとすれば、ビスコンティ自身もまた猿で、彼も当然にそれは理解していたはずだから、これほど絢爛で謙虚な映画もないと云える。バート・ランカスターが死ぬほど格好良い。ドロンが霞んでしまう。<完全復元版> [review] (町田) | [投票(3)] |
★4 | クラウディア・カルディナーレはキツそうな顔で好みではないが、他と出すオーラが明らかに違うね。 (TOMIMORI) | [投票] |
★2 | 時代の変遷が女性の美などで分かりやすく描かれるのかと。カルディナレさん期待ほどでなく。 [review] (G31) | [投票] |
★3 | 美術・衣裳はゴージャスだが、マッタリしたテンポが肌に合わず。加えてテーマの馴染みの薄さが退屈に拍車をかける。カルディナーレの美貌に見とれつつも、作品の肝は理解しないまま終わった。 (太陽と戦慄) | [投票(3)] |
★5 | 遠い国の生々しくも華やかな物語が面前に広がってゆく、その幸福と不思議。その衝撃と興奮。なにがなんでもスクリーンで見るべし! (tredair) | [投票(1)] |
★4 | この湯水のように尽くされた贅沢、庶民としては有難く恩恵に預かりましょう。そしてドロンとカルディナーレの野卑な魅力。 (くたー) | [投票(4)] |
★4 | 豪華絢爛。舞踏会シーンの演出力には驚嘆。上質の大河ドラマ。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | 例えば幕末を貴族視点で描いたら面白くなるのだろうか? [review] (ペペロンチーノ) | [投票(3)] |
★5 | 階級闘争の必然を頭で理解しつつ、しかし心は没落の鎮魂歌に拠っている。ヴィスコンティの立ち位置の余りに明晰な映画構造とのシンクロ。全ての思いの混濁を飲み込み圧縮破壊する40分の舞踏会の熱暑と重厚。その男の意地の集積には憧憬の念しかない。 (けにろん) | [投票(2)] |
★2 | アラン・ドロンとカルディナーレは美しいが、 30分で描いて欲しい事を、3時間かけて描かれても眠くなるだけ。『ベニスに死す』に続きヴィスコンティ作品、撃沈。<完全復元版>['05.4.2京都シネマ] (直人) | [投票] |