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★4 | 失われた心(1947/米) | 登場者全員が実にロジカルに自己を表現する。基本キャメラは客観映像を撮り続けるが、時に幻覚とも現実とも即座には判断できない映像が混じりだす。我々を混乱させつつ物語の進行をスムーズに表現する技巧のなんとすごいこと。ジョーン・クロフォードの演技の冴えに慄然とした。 | [投票] |
★3 | マルクス捕物帖(1946/米) | 開始部分のシリアスな空気を一掃するハーポの芸、この掴みが彼らの真骨頂。20年基本スタイルを変えなかった3兄弟、老いたれどすごい。ダンスフロアの席案内、荷物の梱包、いずれも生産的な行為をすべて無にしていく20世紀の道化芸として今なお貴重だ。 | [投票] |
★4 | 素晴らしき休日(1938/米) | 空間表現が主題に直結する演出に驚愕した。まず婚約者の娘の邸宅の大きさを使用人の数やエレベーターで印象付ける。これによって重要な舞台となる遊戯室と家族の日常の居所との距離感が見えてくる。さらにこの演出が姉と妹の生き方の違いまで表現する。結構シリアスなテーマなのだが、観客をよい気持ちにさせてしまう。役者は達人ぞろい。 | [投票] |
★2 | お人好しの仙女(1935/米) | 善意の矛先があらぬ処に飛んでいくというコメディ。金持ちのスケベ心もからみ、19世紀オペレッタ並みのややこしい動きを呈す。開始から3分の2位はひたすら遠心力のみで映画が動く。登場人物の心理曲線のすれ違いが続きすぎて、自分の生理に合わずイライラした。 | [投票] |
★3 | 人生は四十二から(1935/米) | アメリカが、アメリカを嗤い、アメリカを讃える。コメディの装いをとりつつも、英国人チャールズ・ロートンを主演俳優に使うことでアメリカを客観的に浮かび上がらせようとする。ちょっとシニカルが入った社会性のある視点は、レオ・マッケリーらしい。 | [投票] |
★4 | モーガン先生のロマンス(1938/米) | これもスクリューボール・コメディと言っていい。ジンジャー・ロジャースとジェームズ・スチュアートはまさにこのジャンルのヒロインであり、ヒーローである。アカデミズムのからかい方が徹底的でありつつ、同時にモーツアルト的な優雅さも漂わせる。隠れた傑作。 | [投票] |
★4 | 君たちはどう生きるか(2023/日) | おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな。これが、鑑賞後の実感。少し寂しさを含む余韻が残る。枯れてない宮崎監督がいい。また新作を見せていただきたい。 [review] | [投票(1)] |
★1 | 浜辺の女(1946/米) | 「何だこれは」的レベルの愚作。一人一人の心理の筋道が尺の都合か知らないが思い切りはしょられており、見るに値しない。その一方で、無駄な描写もやたら多く、いい俳優たちを使っておきながら生かしどころを作らず見殺しにした監督以下の罪は非常に重い。特撮シーンはうまい。
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★3 | 美人モデル殺人事件(1941/米) | 小気味よいノワール。性格がまるで違う二人の姉妹を設定し、タレント供給会社社長との関係を巧み織り込んだ。まだそういう言葉こそ出てないが、ストーカーが登場する、映画史でも早い事例ではないか。ベティ・グレイブルの魅力満載。ヴィクター・マチュアの脇の甘さも実に彼らしい。 | [投票] |
★5 | ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE(2023/米) | 流れ、緩急はシリーズの中でも屈指の出来栄え。敵の登場が実にポリフォニックになっている。そのぶん、わかりにくくなるところを、巧みにご都合主義で乗り切って、次のシークェンスに淀みなく運んでいく。ここまでリスク高い撮影を受け入れたローマの当局者に感謝したい。 | [投票(2)] |