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[コメント] 誰も知らない(2004/日)

子供のような大人が少なからず存在するという事実には、昨今の事件を見ていればもう驚かないが、その子供達がいくら健気に、あるいは逞しく、あたかも大人のようにふるまったとしても、彼らは「愛情の奴隷」でしかないという点において非力なのである。
ぽんしゅう

自分が子供だった頃のことを思い出してみるといい。どんなに親が、あるいは大人が理不尽な言動をとったとしても、その大人に1%でも愛情を感じたとき子供は100%の誠意でそれに応えてしまう。子供は愛情に対して奴隷のように従順なのだ。

そして、子供の世界との関わりの単位が家族から社会へと拡がるにつれて、彼らは愛情への一方的な隷属から解放され自ら愛をコントロールできるようになる。それが、一人の人間として自分の責任で人を愛せるようになるということであり、成人するということなのだ。

問題なのは、社会との繋がりを築けないまま成人してしまうことだろう。それは、本作のように物理的に置去りにされた場合だけでなく、理不尽なイジメのように精神的に置去りにされた場合にもおこり得る。そして、この母親(YOU)のような愛情への隷属から脱け出せない、子供のような大人が再生産される。

私たちの目の届かない家庭や学校の中で、いったいどれくらいの数の子供に対する物理的、精神的置去りが起きているのだろうか。その結果、何人の「子供のような大人」が生み出されているのだろうか。私たちには、見えない。あるいは自分が置去りにしている当人だとしても、きっとそんな自覚などないのだろう。

まさに、誰も知らないのだ。街中を手をつないで歩く明(柳楽優弥)たち兄弟と紗希(韓英恵)の後姿が不憫でならない。子供たちを乗せたモノレールが無機質なビルの谷間に消え、都市の中へと埋没していくのを私たちは黙って見送るしかないのだろうか。

ふれるのが最後になったが、『幻の光』では伝統的詩情演出を自らの映像感覚で消化しながら、『ワンダフルライフ』では架空空間での映画内映画製作というレトリックを用いながら、そして『ディスタンス』では台詞の徹底的な解体から生まれる肉体の反応の抽出により、一見ドキュメンタリーのように見えつつ実はまったくの虚構世界をいかに創り出すかという是枝裕和演出は、デビュー4作目にしてひとつの完成型をみたように思う。

狭いアパートの部屋で演技者として未完成な子役を被写体にするという条件から、象徴カットの挿入や、会話のカットバック、状況のモンタージュなど映画的には最もオーソドックスな手法を取り入れざるを得なかったことにより、本作は映画的虚構世界が現実味をおびるという皮肉とも思える結果を生んでいる。あらためて映画という表現媒体の奥深さを感じた。

(評価:★5)

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