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[コメント] 誰も知らない(2004/日)

思いやりとは他者に対する想像力。
緑雨

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







すでに盛んに触れられているとおり、この映画の大きなポイントは母親の描き方だろう。明るくてノリが軽くて、子供たちが「大好きなママ」。「子捨て」話というストーリーから想像されるオーソドックスな母親像からはおよそかけ離れている。この造形には正直面食らった。

彼女にはおそらく悪気はまったく無い。自分自身では「あの子たちのために、あたしガンバってる♪」くらい思ってるんだろう。実際には、彼女の行動が子供たちに過酷な生活を強いている。そのことについてまったく無自覚、これはもう想像力の欠如としか表現できない。お金が尽きギリギリの状況になったところで届く現金書留と能天気なメモ書きはあまりに残酷。

母親だけではない。彼らを密かにサポートしてくれていたコンビニのアルバイト店員たちにしても、母親が長期不在であることは知っており、汚い格好でナケナシの小銭で買い物に来る彼の姿を見ればいかに異常な状況が進行しているかを想像することはできたはず。だけど深くは踏み込まない。大家の若妻にしても、子供たちだけで荒れ放題の部屋を覗いているのだから、どんな行動をとるべきか判断するのは難しくはなかったろうに。想像力の欠如。すなわち「思いやりの足りなさ」と言い換えることができる。

「個」として生きることが当たり前になり共同体の結びつきがすっかり薄れてしまった今の世の中、という視点はありきたりではあるが、このような隠喩的な表現をされてしまうと痛い。私の心にはじゅうぶん刺さった。

最も優れていると思ったのは、子供たちの行動・感情をとても自然に且つリアルに描いていることだ。ママがいなくなって、はじめのうちは「この家のルール」を頑なに守っていた彼ら。だがやはり遊び盛りの年齢、次第にタガは緩んでいく。弟妹の面倒を必死でみていた明も本当は同年代の友達と遊びたい、野球をやりたい、ゲームもしたい。一番のお調子者・茂はなんとか兄姉の目を盗んでベランダに足を踏み入れようとする。健気にガマンしていたゆきも、自分の誕生日にも帰ってきてくれないママを待ちきれず駅まで迎えに行くとダダをこねる。唯一最後まで自分を押し殺し続けた長女・京子の姿もいじらしく印象に残る。兄弟姉妹だけの空間だったはずの部屋に、明が友達を招き入れる。この瞬間何かが崩れ落ちた感じがした。

それでも最後の一線はゆずらず歯を食いしばって生きていく明たち。撮影を重ねた日々と並行して、少しずつ大人びて逞しくなっていく姿から目を離すことができなかった。マニキュアや、クレヨンや、ママの服や、おもちゃのピアノや、数々の小道具も効いていた。

終盤は悲しい。が、同時に子供たちの生きる力に励まされもする。心に大きな衝撃を与えられることはなかったが、ざわざわと胸の奥の方をかきむしられるような静かな力強さを宿した映画だった。

(評価:★4)

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