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[コメント] 誰も知らない(2004/日)

完全なフィクションであれば「こんな物語ありえねーよ」で済まされるような、大人達の知らない子供達だけの世界。(041014)
しど

巣鴨置き去り事件で検索すると、この映画のモデルが出てくる。多少の脚色があるとはいえ、これは実際にあった事件なのである。このことが、いいようのない絶望感を抱かせる。

私は、個人的に「疑似家族」という設定が好きである。他人同士が疑似家族を演じることで、本来の家族が持つ役割を再確認する、という展開である。ところがこの作品では、前提となるべき家族が最初から崩壊しているという絶望的設定なのである。はたまた、学校が嫌だったり社会生活が伴わずに「ひきこもり」になる物語なら有り得るが、こちらは、学校に行かされずに育った12歳や、外に出ることを禁じられている子供達が存在しているのだ。非現実的な設定だが、現実にあった事件なのである。本来持つべき社会の基本を奪われている子供達を、どういう感情を持って眺めれば良いのか、非常に困惑しながら見ていた。

捨てられた植物の種がカップ麺の鉢の中で育つ。雑草はその生命力だけで育つが、人間はそういう訳にはいかない。子供達のわずかな成長と対比するように、着ているモノがだんだんボロボロになっていく。「あいつの家、生臭いんだよ」といわれる程に部屋の中もグチャグチャになっていく。オモチャのピアノやウサギのぬいぐるみ、熊の絵が付いた音の鳴るつっかけ、アポロチョコやカップ麺・・・、子供達の輝く目が見つめる「夢」は、無惨な現実の闇の中で悲しく笑っている。大人達が知らない、または見て見ぬふりをしている中で。

これがフィクションならば、「こんな望みの無い物語、ありえねーよ」と捨て去ることもできるのだが、単に私が知らなかっただけの話なので、途方もない絶望感に囚われた。巣鴨の事件は、1988年に発覚したそうだが、それ以降も、誰も知らないままに様々な悲劇が繰り返された結果の、最近の子供虐待事件の頻発だろうと思うと、尚更、やりようのない悲しみが私を襲う。

(評価:★5)

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