コメンテータ
ランキング
HELP

DSCHさんのコメント: 更新順

★3パプリカ(2006/日)自己投影を自在に操り目まぐるしく変化する当事者のビジュアル、コケティッシュでレトロなバプリカの造詣と奇妙な恋、良心的範囲のエログロ描写、「たわごと」の筒井的ナンセンスの再現など、どこまでもそつなく成功しているが、まさにその八方美人的そつのなさがイメージを狭め、大傑作として昇華しない。微妙にショボい音楽と、アニメの威力を誇示するオモチャの乱舞のリピートがかえって邪魔をする。映画って難しい。 [review][投票]
★3ローズ・イン・タイドランド(2005/カナダ=英)現実を悪夢的に装飾し、グロテスクな「ビジョン」を構築して悲惨な現実をはぐらかすローズは真性の悪夢ジャンキーである。ローズの一種の防御手段である「悪夢」が醒めた先には何があるのか。ラストの先にこそ何も見えない現実という闇が横たわる恐ろしい映画。そして悪夢は続く(続ける)のである。うわっ、怖っ、暗っ。 [review][投票]
★4海と毒薬(1986/日)モノクロの精緻な映像が、戦中非常時下の焦燥と不安に満ちた闇の濃さ、勝呂の孤独、戸田の虚無そして流される血をどす黒く映し出す。原作を写実主義で再現する各所の手法は完璧の一言だが、明らかに意図的な 半米半日の岡田真澄のキャスティングと尋問エピソードの意味が浅く、狙い通りに昇華していないのが残念。それにしてももともと人の中に神は不在なのか、戦争が神を殺すのか、どちらなのだろうか。 [投票]
★4鬼火(1963/仏)ルイ・マルによる「人間失格」、「日々の泡」。繊細すぎる凡人の目には、かえって世界の偽善と虚栄、汚濁、そして己の無力が映りすぎ、この世界の当事者であることは過酷すぎる。寒々しい生の全否定に見える一方で、こんな解釈もあったりする(たぶん)。 [review][投票]
★4雪の女王(1957/露)「女性」ゲルダによる凍りついた心の「無血開城」とカイのだらしない「男性」描写が宮崎御大のルーツには違いない。一方で最も哀れを誘うのは、孤独と高潔の鎧で身を固めた「雪の女王」の「氷解」と山賊の少女の「強がり」。二人ともさぞ苦しかったことだろう。こちらに思いを馳せてしまう分、アンデルセン的残酷と悲哀が際立つ。画の美しさは特筆。[投票(1)]
★5戦場でワルツを(2008/イスラエル=独=仏=米=フィンランド=スイス=ベルギー=豪)引き剥がされる虚構=アニメという防御膜。この技法は、我々の「視線」そのものを撃つためにとられた必然である。これを理解しなければ、技法の意味が瓦解し、誤った形で我々の中に残るだろう。そもそもこれはトラウマの克服よりも、またドキュメンタリとしてよりも、現実から虚構のビジョンで身を守る人の弱さをテーマにしているのだから。 [review][投票(4)]
★4パンチドランク・ラブ(2002/米)電車男』のPTA版?なのか?いや、違う。「ラブコメ嫌い」の守備範囲、じゃなくてドンピシャ。PTAなのに知名度低いのがちょっと残念。 [review][投票]
★4鬼が来た!(2000/中国)古来、桃太郎の時代から「鬼」は異邦人→コミュニケーションの取れない異者を指した。憎悪と不信が醸成する究極的な「ディスコミュニケーション」。そして憎悪は想像/創造され、「ディスコミュニケーション」は制度化される。システムが走り出せば、もうそこには「戦争」しかないのである。 [review][投票]
★5グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)「韓国的である」ことへの警戒フィルタを、「あまりにも韓国的である」直情によって見事に突破されたことを告白せねばならない。不条理を前に爆発する怒りはしかし更なる不条理に阻まれ、思い描いた威力を持って相手に届かない。このニヒリズムを前にしてこそ、想いを新たにする。「どんなに滑稽でも泣き叫び歯ぎしりしながら全力で家族を守れ」と。それは望むと望まざるに関わらず、意外な形で、しかし必ず世界を変えるのだ。 [review][投票(5)]
★3マーズ・アタック!(1996/米)異星人モノは「コミュニケーション」が成立するか没状態で破綻するかの匙加減が肝。この「ビミョーにコミュニケーションが取れる」という匙加減がビミョーに絶妙に決まり、仕草と意味合いのギャップに黒い笑いを見いだす筒井康隆的センスにフーセン火星人のビジュアルが完璧マッチ。オチも「コミュニケーション」をキーとして観れば悪意たっぷりで満足。しかしアクションとシーンの繋ぎが悪く、ネタ博覧会に終始したのが痛すぎる。[投票(3)]
★1シン・シティ(2005/米)ハードボイルドで内省的なモノローグ(「静」)とモンスターによる天誅アクション(「動」)の落差に活路を見いだすなら、感情の高まりに直結せずに無作法な「画」が垂れ流される「話法の不在」というこの究極の凡ミスをどう許せばいい。淡々と呟けば衝撃が増すという単純な世界ではない。こういう題材だからこそ理詰めで提示してくれないと乗れないのだ。編集一つでいくらでも輝くものを。怠惰。「告白」でも観て出直してこい。 [review][投票(2)]
★5デス・プルーフ in グラインドハウス(2007/米)徹底的にフィクショナルであること。暴力はファンタジックな娯楽であること。それは映画以外ではしてはならないこと。転じて映画にしかできないこと。それはタランティーノの「正常」な映画的倫理観であり、映画における原理主義的な姿勢でもある。私はそこに最も共鳴する。小賢しい思想や説教なしの、「アクションとキャラだけに痺れる」という、このぎょっとするような高度の単純化がもたらす圧倒的カタルシス。 [review][投票(4)]
★4トロピック・サンダー 史上最低の作戦(2008/米=独)「イメージ」(類型化)=レッテル貼り=俳優差別=人種差別。呪符とも言うべき「レッテル」からの脱却を求めてもがくドタバタに託し、差別の仕組みを嫌味なく遠回しに愉しく解説したコメディの快作。ぱっと見そうは見えないという知性派。所詮A級とは言い得て妙だが、まあいいじゃないか。 [review][投票(1)]
★4ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(2006/米)「カザフを馬鹿にし過ぎ」というが、我々が「本当のカザフスタン」について何を知っているというのか。無知は罪。無知の自然体は悪意として作用する。皆さん、きちんと文化を勉強しましょう(☆4だが人には勧めない。「品性」を疑われると困るので(笑) [review][投票]
★2サボテン・ブラザース(1986/米)バカは結構だ。愛してる。でも垂れ流さないでくれ。ジョン・ランディスはテンポが悪すぎる。[投票]
★5インランド・エンパイア(2006/米=ポーランド=仏)そう、これが魅惑の「電波」の世界。「狂気」のシステムをめぐる最狂の「ジャズ映画」。何たる恍惚。乙。 [review][投票(4)]
★3笑の大学(2004/日)冷徹な男が狭い取調室内をこけつまろびつ駆け回った末、遂に「笑い」を獲得し、初めて人として「誕生」する。愉しくてやめられない、とまらない。これに「立ち会う」稲垣の表情。効果的スローモーション。この演出には不覚にも目が潤んでしまった。ここは奇跡を超えた映画。というか、ここだけ映画的。 [review][投票]
★4おいしい生活(2000/米)「教養不足」がそれと知らずスノビズムをコケにするのが笑いの基本線だが、「俗」への「嫌悪」ではなく優しい眼差しが快適。この暖かさこそ品性。そりゃカタツムリよりチーズバーガーだろうさ。更に傍目には破綻して見える罵り合い基調の夫婦関係が「当事者にしか理解し得ない愛」で成立している、という夫婦関係の本質理解が至上の「夫婦漫才」を完成させる。罵りと茶化しの応酬に「突如」挟まれる抱擁シーンの可愛らしさ! [review][投票(2)]
★5告白(2010/日)哀しみを宿した審判者=教師の「教育」は遂に成就する。一粒の悪意を撒き、人の疑心・憎悪・偽善と幼児性を苗床にして無限増殖する負のスパイラルを巧みに利用した復讐劇。なべて幼稚なガキ共は「教育」され「嫌悪」し、「成熟」するがよい。唾棄されることによって本作は完成される。反駁し、唾棄せよ。ひたすら唾棄せよ。これが反語表現の極み。見たか文科省、これが本当の命の重みだ。ブラボー。 [review][投票(4)]
★5十三人の刺客(2010/日)「長さ」の妙。 [review][投票(5)]