★5 | スター・ウォーズ フォースの覚醒(2015/米) | 核である英雄が失われ、世界が分裂・拡散する時代のスターウオーズ。そして歴史が繰り返される無常。「お約束」と「ファンサービス」がここまで時代性を得て変奏されるのは『ダークナイト』以来・・・という評も狙って作られてると思しき小癪さだが、残念ながら僕はそういうの大好き。遺憾ながら(笑)最高の興業的新作にしてルーカスの神話を相対化する最高のリメイクでもある。 [review] | [投票(12)] |
★5 | 風立ちぬ(2013/日) | 実際のところ、監督は世界を滅ぼしたいのだろうと思っていた。最後に何か撮るなら、タタリ神として、終わる世界を描いて欲しいと思っていた。だってすごく面白そうだから。でも、今、業を見据えて、翼が呪いから解放される日、未来を確信する「風」を描いた映画を託してくれたことが嬉しい。それも掛け値なしの本当の言葉で。『ナウシカ』のあの日のように「風」は止まないのだ。最高傑作と思う。(原作未読) [review] | [投票(11)] |
★5 | ジャンゴ 繋がれざる者(2012/米) | タランティーノはそれを我慢できない。 [review] | [投票(11)] |
★5 | ゼロ・グラビティ(2013/米) | 人間がクルクルと無重力に翻弄され、「宇宙」が襲いかかる画は『2001年』を想起させるが、冷笑で支配するキューブリックとは真逆を行くエモーション。体の重さを失って心の重さを知る。心の重さを知って、大地を踏みしめる。これは「生まれること」についての物語だ。再突入シーンの「死と虚無に追いつかれないように速く!もっと速く!」という臆面もない熱さに射貫かれる。これをこそ待っていた。(修正改稿) [review] | [投票(10)] |
★5 | ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ) | 実存と生命と愛。滅びと対置される強靭なシンプリシティ。「魂」に触れる驚き。(再見して追記) [review] | [投票(9)] |
★5 | シン・ゴジラ(2016/日) | 「東京に血糊を塗りたくる」。直接的なえげつない演出に震えた。福島でもいつでも生死を問わず血は流れたのだ。私たちはすぐそれを忘れてしまう。そして私は血を流さなかった。モニタ越しにそれを眺め、破壊へのある種の快感を感じる生理に対し、作家として正直な超破壊を繰り出しつつ、「思い出せ」という寓意も明確。まさか監督から説教されるとは。ムスカよろしく「・・・素晴らしい!」と呟きつつ涙が流れた。複雑な感覚です。 [review] | [投票(9)] |
★5 | 首(2023/日) | This is the Modern Yakuza Honnohji.不謹慎な上層ヤクザ・コントの可笑しさに対置して大量生産される「カタギ」の死。意外とこんなもんだったんじゃないの、という嘲笑と無常感。ニヤニヤ笑い、引き笑い、哀しみが同居するグロテスクな傑作。みんなけったいや。 [review] | [投票(8)] |
★5 | 君たちはどう生きるか(2023/日) | 宮崎駿の臓物(はらわた)。 [review] | [投票(8)] |
★5 | 空気人形(2009/日) | 「行ってきます」。ペ・ドゥナの三度の「誕生」をこの台詞の変奏が示している。寓意の驚愕の密度。圧倒的な聖性。「生」の「浮力」と「重力」の映画。もっとも観たかった「ピノキオ」の再解釈。※長いです。この映画難しいよ・・・
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★5 | ジョーカー(2019/米) | 徹底的に、執拗に繰り返される問い。Why are you so serious? あるいはWhat is so funny?「笑い」は混沌に突き落とされ、相対化され、脱構築される。彼を狂っていると言えるのか。なあ?笑えるだろ?「笑えよ。」 [review] | [投票(7)] |
★5 | エイリアン(1979/米) | 改めて認識した特異点は、エロティックな演出の間合い。無垢な、剥き出しの生理。その生々しさが無機的な宇宙船の美術と対照して映え、密室で昇華、凝縮されていく。そして、そのグロテスクはヒト、生物そのもののグロテスクさも逆照射し、潜在的な暴力と性への嫌悪が刺激される。ただの「ホラーの金字塔」ではない。 [review] | [投票(7)] |
★5 | この世界の片隅に(2016/日) | ある映画で、「風はまだ吹いているか、少年よ」と彼岸の男は問いかけ、「はい、まだ吹いています」と此岸の少年は答えた。その、吹き続ける風に乗って、たんぽぽの綿毛は居場所を見つける。喜びと、悶えるような苦しみと虚しさを抱えながら、白昼夢のような光と記憶の断片で織り成された世界で、風はやまないのだ。 [review] | [投票(7)] |
★5 | 八日目の蝉(2011/日) | 男性女性父母血縁という言葉の意味の瓦解を経て、「親」を再構築する小豆島シークエンス以降の「景色」が圧巻。父でありながら父であることが出来なかった男達と、母でありながら母であることが出来なかった女達。彼らが一様になし得ず、希和子がなし得たのは「子」に「景色=幸福な記憶をあたえる」ということ。その「ふつう」の決意の中において、全ての傷ついた女性だけでなく、男性も赦される。「聖なる景色」の映画。泣いた。 [review] | [投票(7)] |
★5 | ウエスタン(1969/米=伊) | 全てが是「演出」の映画。含意などほとんどどうでもいい。一つの頂点であることは間違いないだろう。圧倒的没入感。一種の自己陶酔映画の極致。これぞ娯楽映画。モリコーネの「演歌」は必聴。
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★5 | 2001年宇宙の旅(1968/米=英) | そう、私にとってはこれは何よりも「スリラー」。 "In space,no one can hear your scream." なのです。今まで観た中で一番恐ろしく、深く、美しく、贅沢な暴力映画・・・ってことにでもしないとかみ砕けないですよ。私の頭では。 [review] | [投票(6)] |
★5 | ノーカントリー(2007/米) | 死神(運命)の冷酷な精度。 [review] | [投票(6)] |
★5 | イングロリアス・バスターズ(2009/米=独) | 映画に対する愛よりも、映画に徒なす者への憎しみ。転じて愛。 [review] | [投票(6)] |
★5 | シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021/日) | 私たちは、あの時以来、シンに補完されたのだろうか。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。この言葉はあの時を経て変質したのだ。私たちはまたしても絶望すら忘れて、「シンジ」に全てを負わせていないか。シンの補完は、ここ、リアルで行われるべきなのだ。虚構と現実の渚、絶望と希望の相補が行われる、まさにここで。巻き戻せなくても、続けることはできる。連弾の反復練習のように、少しずつ上手くなる。少しずつ、少しずつ。 [review] | [投票(5)] |
★5 | ルパン三世 カリオストロの城(1979/日) | 感動して涙が出た、みたいなことは珍しくないのだが、痛快過ぎて涙が出た、というのは、私の乏しい映画経験の中からではこの作品の他にはにわかに思い出せない。「すり抜けながらかっさらえ!」とか、「人間にしちゃ、やるね」とか、犬とペンギンの戦いとか、タイムマシンの話ぐらい、か。 [review] | [投票(5)] |
★5 | ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019/米) | たかが映画(嘘)、されど映画(嘘)。虚構の限界よりも、虚構への全幅の信頼。紛れも無い稀代の嘘つきらしい作品だが、タランティーノ先生も、今回は随分センチメンタル。年取ったのかな。 [review] | [投票(5)] |