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[コメント] 戦場でワルツを(2008/イスラエル=独=仏=米=フィンランド=スイス=ベルギー=豪)

引き剥がされる虚構=アニメという防御膜。この技法は、我々の「視線」そのものを撃つためにとられた必然である。これを理解しなければ、技法の意味が瓦解し、誤った形で我々の中に残るだろう。そもそもこれはトラウマの克服よりも、またドキュメンタリとしてよりも、現実から虚構のビジョンで身を守る人の弱さをテーマにしているのだから。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストで引き剥がされる虚構=アニメという防御膜。

劇中で紹介される、レンズ=防御膜を失った途端に恐怖に震えるカメラマンのように、当事者ではなく虚構の傍観者としてしか戦争を認識できない我々の自己防衛本能としての防御膜を無理矢理引き剥がして現実と対面させる残酷さと切実。「虚構にしか思えないような惨状と虚無」のアニメ表現も私には必然の吉と出た。

アニメは隠蔽を主として採用された訳ではなく、事実を実写で描き得なかった作者の力不足でもない。ある種のカタルシスを演出するための「スタイリッシュ」技法ではさらにない。ラストの実写パートの強度を増すためであることはもちろんであるが、アニメという技法の採用には更に意味があることを理解しなければならない。

たとえば残酷描写にオブラートをかける意味でアニメという技法が採用されたと理解するなら、全くの誤りである。この映画が撃つのは、まさに「アニメというオブラートがかかっているからこそ受け入れることができる」というその防御膜に守られた「視線」なのだ。おそらく多くの観客はラストで「拒否反応」を持ってこれに対するだろう。それは監督によって仕組まれた映画的な罠なのだ。この「拒否反応」について私たちはもっと真剣に考えなければならない。

この技法は、我々の「視線」そのものを撃つためにとられた必然である。非常に聡明な作品であると私は思う。

アニメの技法論として、これほどある意味ネガティブに真摯なものも最近では見たことがない。アニメのポジティブな力を全力で信じる人々には深刻な嫌悪をもたらすかもしれないが。

(評価:★5)

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