[コメント] グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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のっけから恥ずかしいことを書いてしまったが、「韓国的/直情的」であることへの警戒感は、まったく、こういった局面に際して自分が何を出来るのかということを考えた時に、自分があまりに無力なのではないか、という予感への恐れに依拠することを、この映画の威力によって気づかされてしまったのである。
例えばカンドゥの鉄棒はもとより、ナミルが投げつける火炎瓶、そしてナムジュの矢は「プロ」の所作でありながら怪物の前にあまりに貧弱であるが(ここ、スローモーション)、一分のためらいもなく怒り=愛をぶつける表情をとらえるカットに尋常でない衝撃を受けてしまったのだ。
ここに至るまでの家族の描写が圧倒的に優れていることや基本的な撮り方のたいへんな巧さがリードしていることも当然押さえなければならないのだが、そういった小賢しい見方を途中から完全に吹き飛ばされた。正直ここまで威力があると語るのが面倒くさいほどである。韓国、舐めていて申し訳ありませんでした、それは私の弱さでした、と懺悔して謝罪するほかない。
・・・とここまで書いておきながらどうしても良かったポイントとして主張しておきたいのは、岸部一徳似のじいちゃんがボケ息子カンドゥの「屁一発でその日のコンディションがAマイナスかBプラスか分かる」という台詞、ヒョンソの家に帰ったら食べたいものは「(父に飲まされてどうにも苦かったけど)冷たく冷えたビール」という台詞である。この「愛が、他者に理解し得ない根拠に基づいている」というのは家族の本質なんだと思う。とても生々しく、キャラクタが体温を獲得する。ここがドンピシャで、私は笑うどころか涙を抑えることが出来なかった。
なお(まだ語るのかよ)、前者の台詞をじっちゃんは他の二人の子ナミルとナムジュに語るのだが、二人は居眠りをしており、結局命あるうちにカンドゥへの愛を正確に伝えることができなかった。この皮肉な不条理。だが、この不条理は実にリアルに迫るものがある。暴力的な不条理って、運命という言葉にも置き換えられるのだろうが、人を待ってくれるものではないのである。そういった「契機」としての「怪獣」っていうのは、すごく根源的な捉え方で的確なんだと思います。
結局語ってしまった。野暮だな。
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