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[コメント] そこのみにて光輝く(2013/日)

縦んば菅田将暉がおらなんだら如何ほど味気ない映画に成り果てていたかしらと、想像するだに怖ろしい。(演出意図の範疇とは云え)綾野剛のカラッポ男ぶりとは対照的に身の詰まったキャラクタリゼーションだ。近藤龍人は日本列島の光線とますます親密な関係を築き、北海道の暑気を首尾よく捉まえている。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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池脇千鶴のキャラクタはいわゆる「フッカー・ウィズ・ハート・オブ・ゴールド」の変奏で、すなわち範囲がきわめて限定された「ゴールド」であるという。それは「そこのみにて」と題にも掲げられている通りだが、ともかくゴールドを享受する綾野は池脇に対して何かをしてやったのか。「何か」をしたと云えるのはむしろ高橋和也に報復を試みた菅田ではないのか、という素朴な不満がある。強いて云えば、池脇が父の田村泰二郎を殺そうとするところを止めたことぐらいだろう。と、ここでハタと気づくのは、その「救命」は菅田による高橋「殺害(未遂)」の対称行為であるということだ。綾野は池脇を現在の境遇から救い出そうとするが、そもそも彼女がその境遇から抜け出せないのは仮釈放中の身の菅田のためであるところが大きい。「ライター」「自転車」などの小道具を適宜用いて綾野と菅田の並列的な精神的紐帯の発生を見つめるシーンがすぐれて効果するのは、このように彼らが池脇を中心に置いて常に対称を描いているからだ。

したがって「綾野-池脇-高橋」に次いで「綾野-池脇-菅田」は第二の三角関係を形成するだろう。最終盤までにそのうちの二点(高橋・菅田)を放逐することで、物語は「綾野-池脇」の純粋な線分を得る。むろんそれは脚本(あるいは原作)領分の構想だが、演出家はこのような人間関係の幾何学的操作に身体性(つまり「映画」)を宿すことを試み、概ね成功を収めている。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (13 人)まりな disjunctive[*] DSCH[*] jollyjoker 緑雨[*] tredair[*] MSRkb けにろん[*] まー[*] 水那岐[*] セント[*] ぽんしゅう[*] 寒山拾得[*]

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