★2 | ルードウィヒ 神々の黄昏(1972/独=仏=伊) | とち狂った王を描くのに演出者までとち狂ってはどうしようもなく、大根なバーガーを取り巻く無秩序なカメラワークと無神経な音楽の被せ方…挙げ句に自身も昇天しかけたと言う。そっちの方がおもろそう。指揮官は醒めてないとダメだわ。 | [投票(1)] |
★4 | クルージング(1980/米) | 主人公が越境していく過程を極めてセンシティヴに描き、それが主筋たる現代都会の迷宮とでも言うべきラストとリンクしたときに、相互反応してカフカ的不条理世界へと観る者を誘うだろう。フリードキン衰退前の最後の仄かな輝き。 | [投票(1)] |
★3 | 青い珊瑚礁(1980/米) | 何のヒネリもない物語を奇を衒わない平板な演出で押し切っている。毒もそっけもないにせよ絵葉書みたいな南海の風光に魅せられて飽きない。割り切ったアルメンドロスの仕事ぶりも好ましく海中撮影、わけても蛸が蟹を喰うシーンが圧倒的に素晴らしい。 | [投票(1)] |
★4 | 路傍の石(1938/日) | 自我の萌芽を辿る明晰な物語性が気持ち良いのは原作によるものとしても、ミクロ的視点に陥りがちな常套的少年成長物語とは一線を隔てた感があるのは、時代を包括的に捉えるマクロ的視点の介在だと思う。実に精緻に丁寧に描かれた名作。 | [投票(1)] |
★1 | 世界崩壊の序曲(1980/米) | 島の火山が噴火するだけだってのに「世界の終わり」とは腹が立つを通り越し山師アレンのハッタリに畏敬の念すら覚えてしまう。しかし、そこに「序曲」とつけざるを得ない配給業者の良心の呵責。その苦渋の選択に一抹の希望を垣間見る。…嘘だが。 | [投票(1)] |
★2 | トム・ホーン(1979/米) | ズームの使い方がてんでなってないウィヤード演出の凡庸さが、ただでさえ暗く侘びしく見せ場に乏しい展開を倍加させていく。何より、こういう日暮れの物語はマックイーンには全然似合わない。残るのは花道を飾れなかった遣り切れなさだけ。 | [投票(1)] |
★5 | 市民ケーン(1941/米) | ヒッチ的マクガフィンと等価の「バラのつぼみ」。ケーンはウェルズに本気で語られる対象ではなく、己の内の圧倒的表現渇望を吐露する方便でしかない。真の天才とキャリア終焉期の老獪な撮影者との邂逅。パンフォーカスに留まらぬ超絶技巧の釣瓶打ち。 | [投票(1)] |
★5 | ミスター・グッドバーを探して(1977/米) | 見え透いた扇情的題材に見えるが、軽やかにニュートラルで、故に描かれる孤独も抜きんでる。息つく間もないカッティングの冴えは自走しシュールな時制の垣間からドッペルゲンガーが顕現するのだ。ダイアン・キートン代表作。 | [投票(1)] |
★2 | わるいやつら(1980/日) | 料亭の女将や材木問屋の若後家という60年代的キャラは同時代性が画面を横溢してこそのもので80年代アイテムとミスマッチで嘘臭い。いづれにせよ女優たちのアクの強さこそが勝負の作で、こうも面子が薄味では時代錯誤感だけが極まってしまった。 | [投票(1)] |
★5 | クレイマー、クレイマー(1979/米) | 単に社会事象への問題提議の映画だったら、ここまでの感銘は無かろう。親が子を想い子が親を想う様を緻密なディテールで積み重ね、それこそが事の本質と言ってるかのようだ。ベントンの演出は精緻を極めアルメンドロスがそれを完璧に担保する。 | [投票(1)] |
★3 | ジャグラー ニューヨーク25時(1980/米) | 中盤でダン・ヘダヤが逸脱の兆候を見せてくれるものの、序盤の見せ場を頂点に展開のエスカレーションが規程の範囲内でしか進まず且つ下降していくという尻つぼみ映画。せめて役者にもう少し華でもあればと思う。 | [投票(1)] |
★2 | バージンブルース(1974/日) | 小悪魔にメロメロになる中年男という構図は古式ゆかしいのだが、男にも行き場がなく、どうしようもなくヘタレなのが気が滅入る。逃避行を続ける2人に刹那感は微塵もなく、挙げ句の果てに「バージンを守る義務がある」って何やねん。知らんわそんなん。 | [投票(1)] |
★3 | 小人の饗宴(1971/独) | 虐げられし者は、実は簡単に虐げる者になる。傷ついた駱駝や鶏への嘲笑は我々の日常に潜む本質への痛烈なアンチテーゼと解釈したい。ヘルツォークは全く呵責無い現実認識を観る者に突きつけるだろう。それは当たり前だが心地いいものではない。 | [投票(1)] |
★2 | サンゲリア(1979/米=伊) | とことんな伊映画屋魂はわからんでもないが、病的なまでに執拗な気持ち悪い描写の羅列には矢張り辟易する。炎天下の路上や公園で動物の死体を棒で裏返して見れば蛆が何百匹も涌いていた…そんな生理的嫌悪感を煽り続ける。唯一海中決闘シ−ンにはたまげた。 | [投票(1)] |
★2 | ザ・フォッグ(1979/米) | グロ度が低くムード歌謡のように情緒に訴求しようとしたが、余りにムードのみで他には何のなかった…というのは後のカーペンターを見れば意図したとも思えず単に金が無かっただけなのだろうと思われ侘びしい。 | [投票(1)] |
★4 | まぼろしの市街戦(1967/仏=伊) | 「何が正気で何が正気でないか」では如何にも生硬だが、それを「こっち側に留まるかあっち側に行ってしまうか」にすり替えたのが堪らなく文学的なのだ。そして、留まっても越境しても孤独感は拭われない。そこが痛切に胸を打つ。 | [投票(1)] |
★3 | 愛のメモリー(1976/米) | デ・パルマタッチと言うのは、どうでもいいような部分でも偏執的なまでに情緒過多になるから、そこに面白味があり見てられるのであって、こういう真っ当に切ない物語で、輪をかけて情緒を垂れ流されまくると正直見ててしんどい。 | [投票(1)] |
★3 | 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者(1976/日) | 変態は嫌いではないが、視姦者と被姦者の間の屈折した共犯意識が妄想世界で充足してる間は良くとも、現実殺人に至らざるを得ない乱歩の枷が寧ろ邪魔。宮下の貴婦人も柄じゃない。だが、全てを無に帰す大震災が低予算ながら解放と余韻を確実に付す。 | [投票(1)] |
★4 | 恋人よ帰れ!わが胸に(1966/米) | 訴訟を巡るドタバタもシュールなパロディを織り交ぜ冴えてはいるが、女房に逃げられたジャック・レモンの独壇場とも言える切ないまでの哀感と侘びしさ。マッソーとのやりとりは巷間言われる凸凹コンビではなく高度なSMショウめいている。 | [投票(1)] |
★4 | ピンク・パンサー2(1975/米) | 品の良い連中が精一杯バカやってるのに嫌みになっていない。誠意をもって真剣にバカやろうとしているからだろうし、エドワーズもセラーズも選ばれし者ということだ。境界線上の均衡を擦り抜けたシリーズ最高作。アンスワースの撮影も十全だった。 | [投票(1)] |