★4 | グラディエーター(2000/米) | 序盤のゲルマン攻略は圧倒的であり掴みとしては最高。『ベン・ハー』『スパルタカス』を継接ぎしたかの如き展開もまあ許せる。ただ、主人公の流転人生を描くに必要な時間が足りず無駄が無さ過ぎ。個の対決に収斂する前の奴隷時代にもう1シークェンス欲しい。 | [投票(3)] |
★3 | ファイト・クラブ(1999/米) | 聞いたこともない殴り合いによるセラピーとは斬新で全く読めない展開に期待が膨らみ続けたが終盤ネタが割れた途端に一気に退いてしまった。破壊すべきは虚構ではなくリアルな何かであるべき。脳内世界に収斂される物語はうんざりだ。 | [投票(3)] |
★4 | 雨あがる(1999/日) | 如何にもな黒澤的教条臭が鼻につく一方、主演2人の醸し出す夫婦の間に流れる空気の裏も表もなく互いを思い遣る気持ちの清々しさに心深く打たれる。ただ、小泉演出には1級の贋作を見たかのようなもどかしさを感じた。余りと言えば余りにまんま過ぎ。 | [投票(3)] |
★2 | サスペリア(1977/伊) | 序盤の嵐の空港での室内外の転調に自動ドアの開閉の内部構造描写を差し込むセンスが強烈に粋ではあるが、あとは全然どうということもない。ゴブリンの音楽が突出してる一方、平板で陳腐な演出がダラダラ続く。 | [投票(3)] |
★5 | テオレマ(1968/伊) | トリックスターを介した図式的展開を想像していたが、ミニマムな家族5人の事後の顛末が世界の終末を描くことにまで伸延されてしまう。その加速的な枠組みの破壊に身を委ねる快楽。そして、又それは相当に適当でいいかげん。紙一重の者にしか描けない代物。 | [投票(3)] |
★3 | 薔薇の葬列(1969/日) | ギリシャ悲劇を基盤に置いたものの、パッションの表出は文字の挿入や時間の解体などゴダール的手法に囚われる余り多分におざなりである。あるのは60年代末のゲイカルチャーの記録価値であり、ピーターのスター性より小笠原修の哀感に惹かれる。 | [投票(3)] |
★3 | 「エロ事師たち」より 人類学入門(1966/日) | 坂本スミ子が予想外に今村的ミューズを体現して感動的だが、一方、小沢スブやんの諦観は今一修羅場を潜ってるとも見えず遂に胸に迫ることはなかった。そして、悩める男の再生譚は後年の『うなぎ』にて焼き直されるわけだ。 | [投票(3)] |
★2 | トゥルーマン・ショー(1998/米) | アイデアの起源は悪かろう筈もないのだが、屋上屋を重ね二重底の下に隠し部屋を作る時代に50年代的ヒューマニズムなアプローチに感じた錯誤は愚昧で蒙昧に思える。フィンチャー的深遠な悪意の不在が決定的なのだ。 | [投票(3)] |
★3 | 河内山宗俊(1936/日) | 可憐で清廉なる少女の為に無頼野郎どもが立ち上がる…そのヒロイズムは王道だがギャグパートが流れを分断し一気呵成に終盤になだれ込むカタルシスに欠ける。オプティミズム(『百萬両の壺』)とペシミズム(『人情紙風船』)の融合が巧くいってない。 | [投票(3)] |
★5 | 丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | 大河内の殺陣に潜む狂気な殺気と喜代三の骨身から滲む玄人臭。「日々平安」なプロットは本物イズムに担保され瞬時も緊張は途切れない。パロディに臨んで諧謔の中に鋭利を差し込む山中イズムの後世への波及。マスターピースとはこういうのを言う。 | [投票(3)] |
★5 | 大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日) | 焼跡の残滓も生々しく先行真っ暗な戦後不況真っ直中の日本でも、子供は純粋且つ強靱であり女房は優しく包容力があった。信じ難い理想郷を見たという驚きに充ちた驚愕の90分間。緩やかに移動するロングショットでさえ制度内の小津神話を覆して余りある。 | [投票(3)] |
★4 | 黒い十人の女(1961/日) | 山本富士子と岸恵子のツーショットの迫力はさすがだが、それだけしかない気もする。10人と言う割には他まり子・今日子の曲玉のみで玉不足。前年『甘い生活』の到達の足下にも及ばぬが、微妙な変態性が辛うじて命脈を繋いだか。 | [投票(3)] |
★5 | セブン(1995/米) | 猟奇な刺激やアクションのキレも図抜けているが、曇り空に雨がしとつく特定されぬ都市の構築が付与する寓意性が、シリアルキラーを単なる事象から神話的な領域へ昇華させる。又、反転の白昼荒野で行きつく帰結はギリシャ悲劇の現代での高度な復古にも思える。 | [投票(3)] |
★3 | 鰯雲(1958/日) | 様々な悲喜交々があったが結局それでも時は流れていき我々も生きていくしかないという諦観で『流れる』と同工異曲。ただ田中澄江的情念は橋本忍の無骨な構築力では代替不可だし東宝専属役者だけでは矢張り駒不足感が否めない。 | [投票(3)] |
★4 | マークスの山(1995/日) | テーマが内包する空疎な執念が作品を覆う陰鬱な空気と化し、刑事同士の確執にまで波及する。非情としか言えないその描写の巧緻。一方で凡するかと思えた萩原と名取の部分の本気度。臭くないのが驚きでさえある。暗くて救いの無い話は嫌いじゃない。 | [投票(3)] |
★5 | パルプ・フィクション(1994/米) | 人の営為には煎じ詰めれば意味あることなんて何も無い。小癪な達観だが強烈なウィットが全てのシーンを被い工夫が効いていてダルに流すところが全く無い。まともなことは悉く避け脚本構成やキャスティングは全て1回捻って戻している。天才的と言うしかない。 | [投票(3)] |
★3 | ぼくの伯父さんの休暇(1952/仏) | このユローという受動的キャラクターが少なからずイラつく。チャップリンの模倣もあからさまでオリジナリティがない上に攻撃性に転化するまでもいかない弛緩ギャグは未だ幾何学構図の冷徹を獲得していない。バカンス風景の郷愁感だけが救い。 | [投票(3)] |
★5 | シンドラーのリスト(1993/米) | 基本私利の為なシンドラーの複層なキャラ付けがあるにせよ、状況に偏愛するスピルバーグのサディスティック視点の結実こそ肝。ゲットー解体から収容所に至る俯瞰描写のスケールと細緻。その厚みの対極での映画心を揺さぶるシュールな詩情。これは真偉業。 | [投票(3)] |
★3 | 家族(1970/日) | 列島を縦断するだけで犠牲にせざるを得ないものがあったが、一方計り知れない希望もあった。清潔や安全と引き替えにユートピア幻想が崩壊した今、時代の記録として感慨を覚えるが、ただ机上の設計を旨とする山田にロードムービーは向いてない。 | [投票(3)] |
★5 | ヌードの夜(1993/日) | 名美(余)を取り巻く物語に介在せざるを得ない村木(竹中)のスタンスが濃厚な背景描写も相俟り完璧な説得力だ。間断しない緊張感と正真正銘のハードさ。雨・闇・光彩・影など佐々木原の仕掛けも豊富で且つ濡れている。石井のピーク。 | [投票(3)] |