[コメント] 火垂るの墓(1988/日)
野坂昭如には「焼け跡派」という冠がついてまわる。
積極的に武器を取って戦った世代ではなく、ただひたすらに敵国アメリカを憎みながら逃げ回った子供たちの世代である。そして焼かれて死んでいった友達と決定的に違うのは、敗戦後すぐに大人たちが「変節」したことを見てしまった事だ。
戦争の悲惨さを訴えようという作品の冒頭のシーンは、少年が駅の雑踏の中で野垂れ死にするという、常識的な反戦映画とはかけ離れた手法をとった。作品として重要なオープニングに、「戦争は怖い、嫌だ、悲しい」といった教科書的な正論を唱えるのではなく、上記のようなショッキングな台詞を吐かせたのだ。
少年たちは戦後すぐに、同じ教師が180度違う道徳を教え始めたのに戸惑い、清純な姉たちが敵国兵士の身体を金と肉欲の為に求めたのに衝撃を覚え、立派だった大人が進駐軍に媚を売っているのを見て、自己崩壊した。
そして少年たちも生きる為に、父や兄を殺した敵国兵士たちに愛嬌をふりまいてチョコを貰う事を覚えていった。
一握りの軍部に責任を押し付け、自分たちは無知なるが故に踊らされた「被害者」であるとばかりに進駐軍に迎合していった。後に日本人は占領軍のマッカーサー元帥を「神様」とまで呼ぶようになる。
この作品の冒頭に上記の台詞を持ってきた意図は、ここにある。
軍国少年に教育されてきた子供たちにとって、戦争はもちろん恐ろしく忌まわしい出来事だったが、それ以上に恐ろしかったのは「大人たちの変節」だったのではないだろうか?
もしも戦争に勝利していたなら、アノ少年は軍神の遺児として丁重なる扱いを受けていた。しかし戦争に負け、大人たちが「変節」したが故に彼等は「汚い恥」なる存在としてボロ雑巾のように処理されていったのだ。
野坂昭如はそんな空気を吸って焼け跡を生き延びていっった。ただ単に戦争反対と念仏のように唱える薄っぺらな反戦映画ではないのではなかろうか?
野坂昭如の怒りの対象はアメリカでも天皇でも親戚の叔母でもない。当時の一般的な日本人を代表するべく登場したアノ「冒頭の通行人」なのだ。
勘違いしてはいけない。戦争の悲惨さや兄妹愛を問うているのではない。兄の行動を云々する作品でもない。何故、あのような冒頭シーンを設定したのかの意味を考えるべきであろう。
2002年8月15日、再見。
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