★5 | 互いの言葉が頭上を素通りするディスコミュニケーションの時代と都市に於いて、その事にさえ無自覚な人々を撃つでもないキアロスタミの虚無や諦念さえ今更な冷えた世界への認識力。これは「絆」とかほざく空疎な自己逃避を止めて向き合うべき現実の提示。 (けにろん) | [投票(7)] |
★5 | オフスクリーンから聞こえる高梨臨の声への指向性で幕を開け、エンディングはオープニング以上に恐るべきオフスクリーン処理の演出で閉じる。 [review] (ゑぎ) | [投票(6)] |
★5 | 見えないものが饒舌に語りかけてくる根源的な映画力に溢れた傑作。途切れることのない緊張のなか、欲望の細い糸で結ばれたような出会いの陰に、女の空疎と老人の思い上がりと男のエゴが浮かび上がる。なんという寂寥感。容赦のない冷徹な人間監察眼が恐ろしい。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(6)] |
★5 | 物語がタクシーの到着から始まれば、エロ教授の受難という喜劇にすっぽり収まるところを、明子に関わるリードの挿入により、奇妙と深刻が同居する曰く云い難い作品になっている。パラノイアの隣のおばさん(よくぞ撮ったものだ)に精薄の弟を配するのも同じスタンスだろう。 [review] (寒山拾得) | [投票(4)] |
★5 | 完全に恐怖映画である。会話において話者同士が同一フレーム内に映ることがほとんど無い。あったとしても罵り合いや誰かかが一方的に喋っているだけであり、会話は成立していない。こうしたディスコミュニケーション劇としての徹底ぷりに驚かされる。登場人物は空間的にも時間的にも文字通り他者と「断絶」しているのだ。 [review] (赤い戦車) | [投票(4)] |
★5 | ストーリーだけを追うのが感興への無二の道ではない。鏡やガラスに映った擬似人格と生身の俳優との会話、そして敢えて贅肉を削ぎ取った脚本に、考えられる限りの役者の自然なアドリブをぶちまけた演技合戦。日本人俳優ばかりを使いながら、邦画とはかけ離れた冒険こそを満喫できる、キアロスタミ世界の延長線上の日本を愉しむフィルムだ。車内の娘を照らすネオンのなんと豊饒な滋味! [review] (水那岐) | [投票(4)] |
★5 | 作中、BGM=背景音楽と呼べるものが無い。音楽は流れてもBGMという使い方ではない。あくまでラジオやオーディオステレオから流れてくる環境音のひとつだったりする。絶妙。凄い。 [review] (Myrath) | [投票(2)] |
★5 | オフナレーションならぬ、「オフセリフ」の凶暴。映像で怖がらせて、音で殴りつけるわけだな。普通はその逆だよね。忘れられない傑作。 (rikutakumi) | [投票(2)] |
★5 | たとえばこんなラブソング。 [review] (モロッコ) | [投票(1)] |
★5 | 監督が念入りに計算した一方通行のコミュニケーション構造を徹底した事で、スローテンポにも関わらず全編を通して緊張感があふれる。最後まで監督の世界に引きずり込まれた。 (ガリガリ博士) | [投票] |
★4 | キアロスタミから見た日本というツールを通して現代を映す野心作だ。これは絶対にキアロスタミでないと撮れない彼独自の感覚が溢れている。しかし一方、全体的に彼一流の余裕を感じる作品でもある。 [review] (セント) | [投票(5)] |
★4 | 『アウトレイジ ビヨンド』と比較して鑑賞すると興味深い。方や観客は説明しないとストーリーを理解しないという前提、もう一方は観客の想像力を信用してオフスクリーンを駆使する前提。その結果としての加瀬亮の印象の違い。劇場で観るべき作品である。 (Master) | [投票] |
★3 | これほど噛み合った会話がほとんどない作品は観たことない。イライラしている間に時間のたつのを忘れる (二液混合) | [投票] |
★3 | 撮り方見せ方聴かせ方まぎれもなくこれが映画だ、って作品。コメンテータ諸氏のコメントはそれぞれ大いに同感だが、毎日の日常生活を見せつけられたくって劇場にきたんじゃない感。 (ぱーこ) | [投票] |