[コメント] キューポラのある街(1962/日)
その後川口市の鋳物工場は加速度的に数を減らしていき、私の今10年来住んでいるこのアパートの大家さんも、70年代石油ショックの頃、鋳物工場を畳んで今のアパートを建てたということです。
ジュンがソフトボールをしていた荒川沿いの川口南中学校までは徒歩5分になります。京浜東北線下り電車で右側、赤羽駅から荒川の鉄橋を渡ると荒川大橋とエルザタワーが見えて川口側の堤防の土手上にペタッと立っているカラフルな建物が見えます。それが川口南中学校(通称:ナンチュー)です。映画でもご覧のようにグラウンドが河川敷であるため、今でも大雨が降って荒川が増水したりすると、まる3日ほど使えなくなってしまうと友人談…。
ついでに電気屋さんが子供の頃、…つまり映画の当時ごろなのですが、水泳の授業でフンドシ一丁で荒川を向こう岸(赤羽)まで泳いでいたりしていたそうです。今じゃ考えられん話で…。
そしてタカユキとサンキチがヤクザ映画を観に行った映画館はなんと私の家のすぐ近く。(見えます) 今はマンションになっていますが、川口郵便局の向かい側で、酉の市の行われる川口神社もすぐそばです。昔はそこを含めて川口にも映画館が4軒ほどあって、駅向こうには川口東映なんてのもあったそうです。今は川口にはストリップ劇場さえないですけどね…
近所には朝鮮乾物屋さんもあります。ここのキムチがめちゃめちゃうまい!
どのくらいうまいかって言うと、以前右翼の街宣車とおぼしき車がこのお店の前で止まりました。時期的には北朝鮮拉致家族の事件のあった前後でした。「うわっやばいのでわ…」と通りがかった私は息を呑みました。するとその右翼カーから出てきた男はただキムチを買って帰ったのでした!!
ちなみに風俗の街として「北の西川口、南の鶴見」は余りにも有名ですが、この両都市とも共通するのは「工場労働者の町であった」ということ。そう、川口は良くも悪くも根っこから労働者の町なのですよ。かつて150軒近くあったとされる鋳物工場はもう10数軒ほどに。代わりに、川口の駅を出れば目に付くのは高層マンションと消費者ローンの看板の数々…。次々と壊されていく駅前の錆びたトタン屋根のアーケードとぽつんと残された時計屋と寿司屋。夜になれば初老の男たちが黙々と作業する道路工事現場と、その脇を過ぎ行く国道122号からのお決まりの2ケツ暴走バイク…。
この『キューポラのある街』は40年ほど経った今でも、リアル過ぎて眩暈がしてくるくらい、貧乏でがんばり症の川口市そのものを映し出していると思うのですよ…。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (14 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。