[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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首を刎ねられる瞬間、画面はモノクロからカラーに変化する。これは一体何を意味していたのか。
それと同時に常に頭を離れなかった冒頭からの疑問、(皆様触れていらっしゃらないが、敢えて愚直に問うてみたい)一体「私」とは誰だったのか。
ヒントは主人公の首に止まる虫。そういえば、本作がカンヌでグランプリをとった年のパルムドールは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』であった。ハイタカ氏の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のレビューを思い起こすと、ここでの虫の「五分の魂」にも何か超越的なものが宿っていたのではないか。
たとえばそこで虫が主人公に話しかけたとする。「もし一つだけ望みをかなえるとしたら、何をしてほしい。」ここで主人公が、まさに自分の首を刎ねようとする日本人、自分の生命を握っている存在と自分との位置(関係)を反転させたい、そう願ったとする。
虫はそんな主人公の最後の願いを少々複雑な状況でかなえたのではないか。そして話の筋は本作の冒頭に回帰する。自分自身におまえは誰かと尋ねられたら、きっとこう応えるしかないだろう。「「私」だ。」一瞬、一度だけの過去への回帰。麻袋の日本人を最後まで預からなかった結果、「私」の言った通り、村人は皆殺しにされる(「私」である主人公を除いて)。そして場面は再び首を刎ねるシーンに戻る。虫は火の鳥のような存在、意図的に羽音を聞かせるあたり非常に怪しい存在である、人間の愚かさ、罪深さを知らしめる傍観者。そしてエピソードは永遠に繰り返す。
カラーは現実、日本人が中国人の首を無慈悲に刎ねる、それだけの状況だったとすると、モノクロは一方でその日本人を永久的な時間の循環に閉じ込める最後の「復讐」だったのかもしれないし、他方で主人公をはじめとした村人たちがおかれたパラレル・ワールドを意味していたのかもしれない。そもそも日本占領下、非常識が常識になってしまうこの悲惨な状況が、パラレル・ワールドでなかったら一体何だというのか。本作は非常に寓話的であり、エミール・クストリッツァの作風を少し思い出した。
ただレビューを一部書くことはできても採点は非常に迷うところ。寓話的であったがゆえに、なぜだか話が進めば進むほど突き放されたような感覚をおぼえた。このようなことを言うと反発をおぼえられるかもしれないが、どうも自分の苦手な悪趣味なコメディーだったのではないかという疑念が晴れないので(「虫」の意図があったとしたら、それはかなり皮肉で峻烈なものだったのではないだろうか。また香川照之以外の日本人はまさに「鬼」として寓話的に描かれていたこと。といっても彼らの存在をかばう意図で言っているわけではない。それは自分であるかもしれないからこそ。)、4点以上に変更する可能性も込みで、この点数にしておく。(★3.5)
*単に見逃したのかもしれないが、主人公の恋人はどこに行ってしまったのだろうか。そもそも村や恋人は存在したのかどうか実は怪しいのではないか。
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