[コメント] エル・スール −南−(1983/スペイン=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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久しぶりに見て心底驚いたのは、映画の空間のとらえ方が、そのまま父と娘の関係を表していること。見返して本当によかったと思える位の収穫だった。
幼いころの2人の風景は、必ずひとつの絵の中に2人で映ってるシーンが挿入され、あたかも同じ空気を交歓しているような、神秘的な幸福が漂う空間を印象づけている。
そしてエストレリャがイレーネの存在を知る頃になると、2人の空間の間には薄い壁(窓ガラス、床)が、少しずつ生まれはじめる。
さらに彼女が成長すると、一緒にいながらもお互いの空気はすでに異質なものとして描かれ、2人の風景が著しく減り(ミラグロクからの手紙を渡すシーンくらいではないだろうか)、エストレリャにとって父をとりまく空気は、近寄り難いものとして感じられる(父を見つけて隠れるシーン)。
そして最も哀しい、最後の昼食のシーン。2人が会話をしてても、ついに対峙するシーンは現れず、唯一2人が映るところでは、父の姿は背後に焦点の合わないまま置かれる。そしてだんだん2人が遠ざかり、最後に彼女が振り返って見る父は、遠くで小さく手を振る姿。あまりに哀しくて、不覚にも涙が出そうになった。
そして父が亡くなって残されたちっぽけな抜け殻の数々。枕元に残された神秘の振り子(これは娘に自分のことを本当に理解してもらいたい、というメッセージに思えてならない)と、父の謎の鍵となる人を示すもの(領収書)を手に、再び父を見つける南への旅に出る。
・・・あまりに素晴らしすぎて、見終わった後も、言葉を失いしばし茫然としてしまった。さらには回想形式の映画なので、上記した空間のとらえ方は、あくまで娘の心象風景を忠実に表してる。この徹底振りに、さらに驚く。父側の回想だったら、また違った空間が展開したのだろう。
以前はその謎の多さから『みつばちのささやき』の方に魅力を感じた。でも今は同じ位この映画が好きだ。説明が多い分謎の密度は薄くなったが、その空間は前作にも増して洗練を極めている。さらに心情を事細かに表すナレーションをかぶせる事で、エリセ映画の空間の秘密を少し教えてもらったような気がした。
最後に、エストレリャにとっての父の存在について。近親相姦的なものは自分には感じられなかった。もっと象徴的な意味を持つ存在に思えた。多分子供の頃には精霊が宿っていて、大人になるにつれて見えなくなっていく反面、違った形で理解を深めていくもの、そんなものの象徴に思えた。あくまで個人的なんですけど・・・。
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