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けにろんさんのコメント: 更新順

★4わが谷は緑なりき(1941/米)幾何学的計算に裏付けられたかの如きオープンセット美や紫檀の陰影を有した白黒撮影があれば充分とも言えるが、多くの登場人物が織りなしノスタルジーに収斂される編年記としては矢張りどうしても短い。クリスプの親爺も弱かった。[投票(3)]
★5トリコロール/青の愛(1993/仏)閉塞された心の解放までの短調な物語を、『ベロニカ』の長焦点レンズ使いを更に先鋭化させたイジャク撮影が青の色使いも鋭角的に高濃度に凝縮させていく。ショットショットが奏でる訴求力は瞬時の弛緩も無い。キェシロフシキの最高到達点。[投票(2)]
★4プラネット・テラー in グラインドハウス(2007/米)腐った牛乳がやがてヨーグルトになる様に不快な下司も半端を通り越して一周すると爽快になる。人体が砕けて飛び散る様を繰り返し見せられオモロイなあ。賢い人がアホなフリしてるとしても。『デス・プルーフ』とは本当に良いマッチング。[投票(2)]
★4恋人よ帰れ!わが胸に(1966/米)訴訟を巡るドタバタもシュールなパロディを織り交ぜ冴えてはいるが、女房に逃げられたジャック・レモンの独壇場とも言える切ないまでの哀感と侘びしさ。マッソーとのやりとりは巷間言われる凸凹コンビではなく高度なSMショウめいている。[投票(1)]
★4しのび逢い(1954/仏=英)どうにもピリっとしない女こまし野郎の自慢話で、老獪な戦前派クレールあたりならエスプリで流すところがクレマンでは半端なクソ真面目で物語相性悪い。なのに、モリス撮影の自然主義的屋外シーンがアンビバレンツな魅力を漲らせるので困るのだ。[投票(1)]
★3ぼくの伯父さんの休暇(1952/仏)このユローという受動的キャラクターが少なからずイラつく。チャップリンの模倣もあからさまでオリジナリティがない上に攻撃性に転化するまでもいかない弛緩ギャグは未だ幾何学構図の冷徹を獲得していない。バカンス風景の郷愁感だけが救い。[投票(3)]
★3転々(2007/日)成る程コンセプトはわからんでもない。俺も散歩は嫌いじゃないし追いつめられた男の今生のセンチ旅は解る。が、若者には迎合して欲しくもないし、疑似家庭に涙なんぞ絶対に流して欲しくない。ちゃうやろと思う。ギャグは5本に4本がこっ恥ずかしく笑えない。[投票(3)]
★4タロットカード殺人事件(2006/英=米)ええ年こいた爺さんが若いおなごと如何様に接したいか、又接して欲しいかという理想郷のような世界が延々と繰り広げられて陶然としてしまう。俺はウディほどの年ではないが現役であり続けたいものだ。『殺人狂時代』への垣間見えるリスペクトも好感。 [投票(3)]
★4がんばっていきまっしょい(1998/日)竹中直人不在が象徴する周防的ギミック偏重の邦画潮流からの決別と、芸が無いとも言える典型スポ根にも拘わらず全くベタじゃないという奇跡の混在。その奇跡の結露としての澄み渡ったような透明感が良い。調和的なノスタルジアだとしてもだ。[投票(2)]
★3修羅雪姫(1973/日)即席培養された「怨み」は過剰なまでの激烈さで消化されなければ矮小化する一方だから仕方ないのだろう。昭和の暗部の残酷見世物小屋の如き「ブッタ斬り」ショーが一種マゾヒスティックな悲哀をもたらすのが唯一の見所。[投票(2)]
★3ブリット(1968/米)寡黙すぎるマックイーンからは怒りや執念よりもナルシズムが匂い立ってかなわん気がするし、残念ながらカーチェイスは風化してしまっている。しかし、フレイカー撮影の鋭角的なショットの連続はスタティックな怜悧さを醸し出してやまない。クールだ。[投票(2)]
★2クローズ ZERO(2007/日)親爺の座を取ったるとか息巻いてる割にメソついたりヘタレな先輩に頼ってみたりで、主人公に強靱さが無く、対する芹沢も太めでカリスマが無い。途中からどうでもよくなる覇権争いだが仲間の手術との青春カットバックは別の意味で狂気の沙汰だろう。寒すぎる。[投票(3)]
★5雨月物語(1953/日)田中よりは案外に水戸光子が切ないのだが、やはり真に圧倒的なのは京マチ子宮川一夫であり、両者が3年前の『羅生門』とリンクする形で戦前戦後の巨匠を同期させたことに映画史上の因縁を思わずにいられない。奇跡と思う。[投票(4)]
★3ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007/日)繰り返し描かれる別離と再会がドラマの帰結というのではなく、端から前提として配置されてる感濃厚で小雪の件では最早どっちらけになってしまった。CGも同様で背景選定まずありきなあざとさでブルーバックの継ぎ目も粗造感いや増す出来。[投票(4)]
★3「エロ事師たち」より 人類学入門(1966/日)坂本スミ子が予想外に今村的ミューズを体現して感動的だが、一方、小沢スブやんの諦観は今一修羅場を潜ってるとも見えず遂に胸に迫ることはなかった。そして、悩める男の再生譚は後年の『うなぎ』にて焼き直されるわけだ。[投票(3)]
★4パンズ・ラビリンス(2006/メキシコ=スペイン)少女の母への想いが醒めて見えるほどに退いた視座を保持している。過度にサディスティックな義父や偏執的にグロテスクな迷宮に対しても同様に均質な距離を感じ、逆説的に構造の歪さを増幅する。ラストの違和感も確信犯だろう。[投票(5)]
★5ベニスに死す(1971/伊)主人公が乳白色の海を渡って辿り着いた白いホテルは、疫病の蔓延する湿った石畳の黄泉の国への入り口であった。メフィストフェレスに誘われ自壊しゆく男を豊穣なディテールをもってこれ以上ない精緻さで描く。内向するデカダンは突き抜けて至高に達する。[投票(4)]
★2地球に落ちてきた男(1976/英=米)形而上的に奥深いが故なのか、単に舌足らずな演出による自壊なのか…正直わからないのだが、状況を描くにはメリハリ無くてダラダラしんどく、主人公を描くには半端なエロティシズムが気色悪くもある。強固なポリシーの欠如により撮影さえ弛緩して見える。[投票(2)]
★5ヘアスプレー(2007/米)陽気で前向きなだけで変革をもたらせられるとは思わないが、及び腰な人々を融解させる触媒にはなる。そういう積み重ねの歴史こそ重要なのだ。居ても立ってもいられずダンスの渦中に飛び込む人々。踊らにゃ損損。全てのマイノリティへの応援歌。[投票(7)]
★3リバー・ランズ・スルー・イット(1992/米)レッドフォードピットの相似性に映画史的因縁を見出すことはあっても、所詮は『エデンの東』の緩い焼き直しの域は出ない。フライフィッシングの映像もジグモンド的反射を多用するがロマンティックに浸るだけで映画的アクションには遠い。[投票(2)]