「小津安二郎」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
毒薬と老嬢(1944/米) |
人物造形の趣味悪さは、カルト映画の域。実はフランク・キャプラの他作品でも奇天烈性のレベルの相当に高い登場人物が時折登場する。不具不能ゆえに立っているキャラクターというのがキャプラ的人物の本質。ヒューマニズムの裏側には残忍さがはりついている。 (ジェリー) | [投票(2)] | |
プリシラ・レインは『彼奴は顔役だ』や『逃走迷路』の時よりかわいい。ピーター・ローレはやっぱり不気味。ブラックで後味の悪いNHKの時代劇バラエティみたい。タクシーがかわいそう。 (動物園のクマ) | [投票(2)] | |
自信に満ちた老姉妹(ジョセフィン・ハル/ジーン・アデーア)のほほ笑みは自己満足的「慈善」を皮肉り、批評家(ケイリー・グラント)のベタな狼狽ぶりは創作(演劇/映画)と現実の「悪事」のギャップを嗤う。ラストのオチも人の「関係」の欺瞞性をさらりと暴いて秀逸。 (ぽんしゅう) | [投票] | |
キャプラ映画の雰囲気でブラックやっちゃうってのは面白い。でも、いかにも舞台の映画化ってノリもある。 (くたー) | [投票(2)] | |
グラントの躁演技がキャプラと相性悪い感じがする以上に題材的に不可避なダークサイドへの共振を欠いた状態で物語だけひた走るのが如何にも空疎だ。ヒッチかラングあたりで見たかった。ラッパおじさん他小ネタも満載だが悉く嗜好に合わない。 (けにろん) | [投票(1)] | |
スピード感溢れ、断片が折り重なり、筒井康隆の目指したブラックユーモアの理想郷が出現する。ピーター・ローレの向こうをはって目ん玉見開くクラーク・ゲーブルの面構えが脳裏に貼りついて離れない。兄さんのラッパの件は現代では放送禁止だろう。 (寒山拾得) | [投票] |