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[コメント] 風立ちぬ(2013/日)

実際のところ、監督は世界を滅ぼしたいのだろうと思っていた。最後に何か撮るなら、タタリ神として、終わる世界を描いて欲しいと思っていた。だってすごく面白そうだから。でも、今、業を見据えて、翼が呪いから解放される日、未来を確信する「風」を描いた映画を託してくれたことが嬉しい。それも掛け値なしの本当の言葉で。『ナウシカ』のあの日のように「風」は止まないのだ。最高傑作と思う。(原作未読)
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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二郎の夢想する飛行機に相似するフォルムがある。宮崎駿の描く最も美しい飛行機とは、『ナウシカ』のメーヴェなんだと思う。あの流線形。雲にとける白さ。あれは原作では再三「凧」と呼ばれている。炎を巻き上げ(ex震災)、新しい心と心の出会い=命を送る(ex紙飛行機、帽子、パラソル)、破壊と創造の「風」を受け止めて舞い上がる凧。両輪というのがミソだ。両輪を理解して受け止めなければ舞い上がれないという思想が具現化されたものなのだろう。これは、本当にタイトルまんまで恥ずかしいが、『ナウシカ』以来の「風」の映画だ。

絶えず吹きすさぶ「風」。同様に両極を揺れ動くものが人間であるという前提に立ち、破壊と混沌の敗戦の先、創造の風が再び吹く日を見据えて二郎は「遠く」を見る。その絶対的な「未来への確信」。そう、この映画には、「確信」がみなぎっている。『ナウシカ』の時ですら見いだせなかった、「その後」への「確信」がみなぎっている。

「ちょっと重くなるんだ。機関銃を乗せなければ。だから、それは次の機会に任せる」。「次」を描く資格が二郎にあるのか、という点が多くの人を戸惑わせるだろう。しかし僕は、二郎に虚無も狂気も、忘却の不謹慎も感じなかった。彼は「時間がない」と口にする。彼は彼の在る時代の中で、出来ることをやるしかなかった。反駁が死を意味した時代に、メーヴェを創れず、機銃を積んだ呪われた夢を紡ぐしかなかった彼には自覚はあったはず。彼に「次」はない。裁かれることも折り込み済みだろう。しかし、いつか、必ず、その呪いが解かれる時代が来る。二郎は常に「遠く」をみる。ぼやけた近眼でも、まじまじと未来を凝視する。「確信」を持ちにくいこの時代に放たれる、「次」という言葉。誰に向けて投げかけられた言葉か。

終盤、「見たまえ、君のゼロだ。」と彼岸の伯爵は言う。なぜ「零戦」と言わせないのか。二郎に許された時間の中で、呪われた形でしか紡げなかった夢、しかしそれは始まりなのだ、ということだろう。「零」という言葉が脱構築される瞬間だ。「風は吹いているか、少年よ」と彼岸の伯爵は再三問う。震災の際にあっても、二郎は「なんとか吹いています」と答えた。ナウシカのあの日のように「風はやまない」。そのことを語ってくれたことがとても嬉しかった。「託されている」と思った。

これを不謹慎と評価することは容易いが、「確信」に僕は決定的に打たれた。菜穂子も「確信」に惹かれたのだろう。ラブシーンが遂に描かれたのも、傍目には愚かしい、個人的な、それ故に美しい関係性の描写も、「確信」によるものだったのだと思う。風が帽子を運び、受け止め、言葉を交わすシークエンスから、愚かさを引っくるめて傑作だと、それこそ確信した。「ひこうき雲」が必要なかったくらいに打たれた。我ながらヤベェと思うくらい泣いちゃいましたよ。「ナイスキャッチ!」とか「お庭から来てほしい」とか、帽子についたお花とか、煙草とか、「この馬鹿野郎!」と思いましたよ。こういうのは愚かなぐらいがいいのです。万人に受け入れられる愛など、信用ならない。

極めて個人的な見方なのだが、これは『紅の豚』の精神的続編なのだと思う。戦没者の魂が作るひこうき雲や、零戦完成時の飛翔シーンとジーナに見せるアクロバット飛行のカメラアングルの相似性。「魔法」と「呪い」のテーマ。理想と現実の相克(二郎×本庄=ポルコ×フェラーリン)。ピッコロおやじのあっけらかんと二郎の相似性。戦争の呪いから解放された翼の美しさを描くに際して、照れてぐちゃぐちゃにしてしまったあの時(それでも僕の評価は星5つ)から、本当に語る時が来たと感じたのだろう。あのコッパズカシイ二人乗りの、機銃を積まない翼。めくれあがるスカートと赤面する二人。フィオの見た目よりデカイ尻で壊れる機関銃。はっきり言ってこれに勝る「美しい」場面は以降なかった。単純なことなのだ。それが言い過ぎであれば表現を変えよう。それは、「単純なことでなければいけない」のだ。あの時、監督は「撮りたいものを撮ったが、失敗した」と言っていた。確かに舌足らずだった。確信が持てず、ファンタジーに過ぎないと思っているようにも思えた(おろした機銃も二挺のうち一挺だけだ)。今回、監督は自らの映画で初めて泣いたという。その気持ちは、とてもわかる気がする。『ハウル』の時に監督は死んだんだと思ったが、今回は「ありがとう」と思った。こんな経験はあまりない。本当に素晴らしかった。

※余談だが、庵野さんはメタな旨みを含めてとても良かった。わけても終盤の「ありがとう」の声の裏返りは最高。創造と破壊の混沌=彼岸の伯爵(見ようによっては死神だ)に狂言の野村さんを充てたのも慧眼だ。「声」「音」に違和感がなかったのも随分久しぶりのことである。

(評価:★5)

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