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[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)

お茶の間では、この<スピルバーグ>は機能しない。私は怒っている。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を、ビデオ化した会社と、TVで放映したテレビ局と、権利を売ったスピルバーグに、だ。「『E.T.』は長く手元に留めておいたのに何故」という憤り。(*「TVは、番組自体がCMだ」とは、昨日偶然見たヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』にあったが、まさにその通り。)

そもそもこの映画は、ぬくぬくと炬燵に入り、蜜柑でも食べながら、家で観る作品ではない。

けにろん氏や奥田K子氏にしてみれば、どんな映画でもそれは当てはまることだろうが、私はそれほどストイックな劇場主義者でないにしろ、この『Saving Private Ryan』に関しては譲れない。(なぜ、"Saving"を削るのだ!これも許せない!)

この映画のいかにもスピルバーグ的なエピソード性、特に不評であるラストにおける着地、そして執拗なまでの戦闘シーン。私にしてみれば、劇場で観る上での<必然>としてのドラマツルギーだ。この<スピルバーグ>性は劇場でしか機能しない。(*意味合いは少し違うが『ジュラシック・パーク』にも同じことが言える。)

明確な目的地も不明、その目的自体も言わば不条理な、二等兵ジェームズ・ライアンを探す旅。開かれた大地であるにもかかわらず、「死」の成分が支配する戦場の空気の、その窒息感と圧迫感は、部屋で感じ得るものではない。反発覚悟で言わせてもらうなら、それは、安全な家にてテレビの前で、CNNやNHKで湾岸戦争やアフガンへの武力行使を「見物」し感じる、他者的感覚に相似する。

これは、「映画」だ。170分、劇場の椅子に縛り付けられ、半ば拘束された状態で、ほとんどの感覚を支配された上にやっと成立する映画だ。劇場でこの作品を観た時、私は、力ずくで引きずり込まれた。

確かに、この映画の話法は、実にスピルバーグ的なアレゴリー、説教めいたファンタジーであり、ラストは安易で陳腐でこの上ない。(映画上最後の戦闘前の作戦シーンなどは、『ホーム・アローン』のクリス・コロンバス演出かと思ったぐらいだ。)。しかし、劇場で観た時、スピルバーグの作家性云々を超えて、この寓話性がなければ、その虚無感は耐え難いものだったと思う。不必要だと仰る方も多いだろうが、繰り返して言うが、私はこの映画に関しては、良くも悪くも、<スピルバーグ性>は<必然>だったと確信する。(*今までコメントも書かず、採点もしなかったのは、逆説的に、もう一度家で見て、それを確認したかったこともある。)

先に少し触れたが、トム・ハンクス演じるジョン・ミラー大尉の部隊が歩くあの大地。あのアンドレイ・タルコフスキー監督の『ストーカー』を彷彿させ、参考にしたのではないかとさえ思える、緊迫感の緑と廃墟。そのリアリティー。

大尉の手の震えがきっかけとなり、自分の命を預ける大尉のリーダーとしての資格、信頼が、部隊内で揺らぐ。そのリアリティー。

戦場では、「生」か「死」のどちらかしか存在せず、「命の大切さ」云々という道徳・倫理・哲学がほとんど無意味と化す。(冒頭の戦闘シーンで、死に逝く際に懺悔をする兵士と、殺生の際に神の名を呼びながら撃つ狙撃兵の対比。結局は人違いだった、同名のジェームズ・ライアンが、故郷での弟の死の誤報を聞き、「命」の記憶を呼び覚まし恐怖する姿。そして、実に意図的なキャラクター、アパムの苦悶。)「勝/負」、そして「任務」は、「制度における価値」でしかない。そのリアリティー。

戦場における「死」は、無機質な「鑑識票」となり、機械的にタイプライターが打ち出すお悔やみの言葉が塗りつぶす「戦死通知書」となり、いわゆる「記号」にしか過ぎなくなる。そのリアリティー。

そして、その「記号」の犠牲の集大成として、映画のプロローグとエピローグとして、はためく星条旗。そのリアリティー。

これら<映画的リアリティー>すべてが、いかにスピルバーグ的であっても、またいかにアメリカ的であっても、その作家性や国家性を肯定するも、否定するも、その「記号」にいかなる「意味」を見出すか、それが観客に委ねられている。(あくまでも、スピルバーグ的に、だが。)

映画はドキュメンタリーでもなければ、ニュースでもなければ、ましてや道徳の紙芝居でもない。戦争を悲劇やパロディーに仕立てたり、愚行だと道徳観を振り翳したり、感動作として涙を搾り出したりすることは、容易い。それが「悪い」わけではない。しかし、戦争を、その悲劇や喜劇、啓蒙の道具、ティアージャーカー(tearjerker)、そのすべて、そしてその先を描こうとするのは至難の業だ。この『Saving Private Ryan』は、ぎりぎりのところでそれに成功していると、私は思う。映画が提供できるリアリティーとファンタジー、その地平にこの『Saving Private Ryan』はある。奇形御伽噺と化した『シンドラーのリスト』よりも、断然、私はこの映画を支持する。

ただ一点。やはり「感動」のジョン・ウィリアムズの音楽だけは<必然>ではない。

(評価:★4)

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