リーダーさんのコメント: 更新順
田園に死す(1974/日) | 総天然色の『8 1/2』。この世で一番浅ましくて、醜くて、ゆえに愛おしい母親という存在。そこから逃れるためには、「殺す」か「捨てる」しかないのだという寺山の哲学が一貫している。 | [投票(4)] | |
8 1/2(1963/伊) | ほぼ完璧だけど、自問自答が鬱陶しい。美しい映像に身を任せて、幼少時代の記憶にひたすら溺れさせるべきだったのでは?主人公と脚本家に分かりきったような批評をさせて、バランスを取ったつもりが、逆に足を引っ張っているような。 | [投票(1)] | |
リパルジョン・反撥(1965/英) | 性への嫌悪と興味。カトリーヌ・ドヌーブ の仕草や、聞こえてくる小さな音のひとつひとつに織り込まれたメタファーの数々。観終わった後には、主人公の狂気が自分のものとして迫ってくる。 | [投票(1)] | |
贅沢な骨(2001/日) | 屋上の影踏みの描写はうまいと思ったけど、「君は汚くなんかない!」といったNGワードの連発や「ナイフより冷たい〜♪」と臆面もなく歌われる挿入歌にはさすがにひいた。 | [投票(6)] | |
映画に愛をこめて アメリカの夜(1973/仏=伊) | 映画作りの相当汚い部分まで見せているのに、品を失っていない。映画を愛しつつ、「映画なんて嫌いだ!」と言ってしまえる潔さが素晴らしい。 | [投票(3)] | |
何か面白いことないか(1963/日) | この時代ならではの倦怠と狂騒、みたいなノリで描ききるのかと思いきゃ、深刻ぶったジャーナリズム批判が顔を出してウンザリ。ラストにも無理がある。 | [投票] | |
執炎(1964/日) | 伊丹&ルリ子の熱演は買うけど、『南極物語』みたいなナレ−ションと、大仰な音楽がちょっとしつこい。 | [投票(1)] | |
赤毛(1969/日) | 喜八版オール・スターゲーム。『肉弾』から寺田農。『ああ爆弾』から伊藤雄之助と砂塚秀夫。さらに岸田森がおいしいところを一人でかっさらう。『赤影』見てる暇があったら『赤毛』を見ろ! | [投票(1)] | |
華氏451(1966/英=仏) | 本を燃やすという行為が与える背徳感は、それがどこか人を殺すのに似ているからだと思う。 | [投票(2)] | |
気狂いピエロ(1965/仏) | 白黒では成立しない映画。この目の覚めるような赤・青・黄色は永遠に色褪せない。 | [投票(5)] | |
女は女である(1961/仏) | フランス語には男性名詞と女性名詞がある。それはつまり、日本のように闇雲に「男女平等」を謳うのではなく、あらかじめ別の物とした上で、お互いがお互いを尊重するという姿勢なのだ。女は女である。 | [投票(3)] | |
曼陀羅(1971/日) | 深夜にケーブルテレビで見て以来、砂浜での暴力的なまでに美しいレイプ・シーンが脳裏に焼き付いて離れない。観念的で難解な物語は抜きにしても、この凄まじい映像は一見の価値あり。 | [投票(1)] | |
吶喊(1975/日) | 九ちゃん扮する老婆が、手を「ポン!」と叩いて、佐藤勝の音楽が鳴り出す、その瞬間のカタルシスに4点! | [投票(3)] | |
僕の村は戦場だった(1962/露) | 戦場には火の粉が降り、雪が降り、やがて灰が降る。 | [投票(1)] | |
ねじ式(1998/日) | 原作の漫画と比べながら見てみたら、台詞もコマ割りも、何から何まで全く同じ。これだったら原作だけ読めばいい。 | [投票] | |
アメリカの影(1960/米) | 血は水よりも濃し。性格の異なる3人の兄妹がみな魅力的。一見深刻そうな問題よりも、ともすれば笑って忘れてしまえるようなことの方が実は根が深いのだと認識させられる。 | [投票(1)] | |
市民ケーン(1941/米) | 全てを手に入れ、愛だけを失った孤独な新聞王。技術的にどうこう言われても、一回見ただけでは最後に何が燃やされているのかわかりづらいのは痛い。 | [投票] | |
羅生門(1950/日) | タイトルを「藪の中」よりポピュラーな「羅生門」に変えるために取って付けたとしか思えない安易なラストが、原作の持つ不条理さを教訓じみた陳腐なものに変えてしまった。 | [投票(7)] | |
ひまわり(2000/日) | 拙いとはいえ、おセンチな脚本と行定のナルシスティックな感性がうまくマッチした好例だと思う。 | [投票(1)] | |
ピンク・フラミンゴ(1972/米) | バカ夫婦がお互いの醜悪さを讃えながら愛し合うシーンは詩的ですらある。たぶん。 | [投票] |