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[コメント] ミッション:8ミニッツ(2011/米)

およそ主体性と呼べるものを一切剥奪されながら自らの直感と選択を信じ喪失に耐える主人公に稀なる意志の力がみなぎる。それはまた、使い捨てられてよいものなど何一つ存在しない、という監督自身の心根であろう。「すべてうまくいく。」(2011.11.13)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「同じ列車だ、でも違う」。プログラムの開発者にとっては必要な情報を得るための使い捨て手段でしかないはずの(「同じ列車」であるだけで構わないはずの)過去の再現のなかに、コルター(ジェイク・ギレンホール)はもっと微細で確かな現実の感触を見てしまう。目の前に座る女性クリスティーナ(ミシェル・モナハン)は「あなたのアドバイス・・・」と同じセリフを繰り返しつつ、前回とは違ったしぐさや表情を見せるのであり、コルターは、これはヴァーチャル・トレーニングに違いないと自らに言い聞かせながらも、目の前に広がる光景と人物とがあまりに「リアル」であることに驚き、まじまじと見つめて、彼女のほうへ指をのばそうとする。

 この使い捨ての現実たち(同じ世界に舞い戻っているわけではない)からそのつど死を免れて回収されるコルターは、しかし、現実には棺のようなカプセル(!)のなかで生命維持装置につながれて死を奪われているのであり、逆説的にもそのことによって彼自身が使い捨てにされている(「使える限り生かしておく」というわけだ)。『月に囚われた男』と通底する、身体や生命ばかりか人格や記憶までもがそっくり巨大企業や国家機関の管理する資源とされてしまう現代的悪夢である(「近未来的」だろうか?)。死してなお生かされ、死ぬことすら叶わないばかりか、「記憶の初期化」という仕掛けによって、自らが背負わされている悪夢そのものからまでも疎外されようとしているのだ。

 という中盤までの展開それ自体は、とはいえ、意外性に富むものではないし、面倒な理屈立てに比べて、『恋はデジャ・ブ』的な常道を越えるものではない。けれども、私はあえてSFとしてこれを評価してみたい気もする。というのは、この主人公の終盤の選択には、やはり「SF的」と呼んでいい躍動感と喪失感とが伴うからだ。テクノロジーによって生み出される未知の状況や体験とそのなかで抱かれる想像しがたい感情(ときに人間のものですらないそれ)とを想像させるものを「SF」と名付けるなら、これは間違いなく一級のSFだろう。

 その点見過ごせないのは、ラスト近くの、鏡面のオブジェをめぐる一コマ。コルターは一瞬のためらいのあと、「奇跡を信じるかい?」とクリスティーナに尋ね、オブジェへと歩み寄ることを選ぶ。ここからすると、彼の(我々の)期待する「奇跡」が起きるのかと一瞬思われるが、鏡に映るのは、もちろん、他人であるショーンの顔である。しかし、彼は顔を背けることなく、そこにしばらく留まろうとする。「いつものあなたじゃないみたい」という問いかけに、コルターは「新バージョン(new me)さ」と微笑んで応えていたが、かつての自分でないことを受け入れなければならないのは、ほんとうは彼自身なのである。

 思い返せば、見つめ合う男女の映画として展開していながら、この映画の見つめ合いにはズレが用意されている。コルターはクリスティーナの目にはショーンとして映っているのであるし、グッドウィン(ヴェラ・ファーミガ)が見ている画面の先にもコルターの顔はなく、その言葉も音声ではなく文字として受け取られていたのだ。ラストの鏡は、映画そのものが忘れさせていたこの事実をもう一度確認させる。他人の顔を見ながらコルターはそうではない自分の顔を思い出すのであり、3819695さんのレビューに倣って映画の比喩をお借りするなら、それはあたかも、スクリーンの外側にいる私たちを思い出させるかのようだ。

 新たな現実を選びながら決して解消されない喪失感に耐えるこの主人公に、目新しさを覚えた。かつて見知った現実ではない投射された世界のなかにそれと知りながら留まる物語としては、これまでてっきり『インセプション』がそれかと思っていた、クリストファー・プリーストの『ドリーム・マシン』(原題は"A Dream of Wessex"、1977年刊)という小説が思い浮かぶが、おもしろいことに、この小説でも「鏡」がかつての現実を呼び覚ます道具として登場する。しかし、そちらの主人公が「鏡」を避けることによって選択を守るのに対して、この映画の主人公は「鏡」を直視するのだ。

 だからまた、平行宇宙にいるグッドウィンのもとに届くメールが予期させる重層構造の発生も、ここでは「あれもこれも夢かもしれない」といった恐れや逃げとしてではなく、「これもまた現実である」という力強い肯定的意志として立ち現れているように思う。父親との電話のシーンに私は全く思いがけず泣いてしまったが、というのは、コルターが世界を混同しているのではないからだ。彼は、元の世界では自分の後悔の言葉を聞けなかった父親が存在しているのをちゃんと理解しながら、そうでない父親がこの世界には存在していて欲しいと願うのである。

 ジェイク・ギレンホールが繰り返し口にする「すべてうまくいく(Everything's gonna be okay.)」というセリフ。「はて、このお兄さんは『ドニー・ダーコ』でも似たようなことを言ってなかったっけ?」などと余計な記憶が過ぎるが、あの映画においてそのセリフ(正確に対応するわけではない)が登場するのは、教師役ドリュー・バリモアの「みんなには、なにも心配ない、と伝えて」というセリフを受けてのことであった。こういう言葉は伝えるためにあるらしい。ここでも彼(*注:別人です)は、クリスティーナに「すべてうまくいく、と言ってくれ(tell me)」と頼み、グッドウィンにも伝言を頼む。

「彼に伝えてくれ(tell him)、すべてうまくいく、と」

(評価:★4)

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