[コメント] ヒーローショー(2010/日)
井筒和幸の初期の代表作『ガキ帝国』(81)でも、同じような若者の暴走と悲惨が描かれていた。その暴走の果ての帰結は、飲み屋に紛れ込んだ趙方豪の「おっちゃん、ビール一本!」という活きの良い掛け声に集約されていた。しかし、本作の若者たちが行き着いた先には、「ガキ帝国」が秘めていた悲惨の先へと突き進んでいくような勢いはない。あるのは空疎な無力感だけだ。
「ガキ帝国」の主役たちは1970年前後の高校生であり、いわば井筒和幸自身の青春の想いが投影されていた。一方、本作の主役たちは57歳の井筒が見た「今」の20歳代の若者たちだ。おそらく、現在同時進行の若者を井筒が描くのはこれが始めてだ。そんな「今どきの若者」たちに準備された結末は、いたくシビアであり突き放したように冷たい。しかも、これは歯に衣着せぬ真っ向からの本音である。
ユウキ(福徳秀介)は、近くに見えて最も遠い「お笑い芸人」という夢想に甘え続ける。勇気(後藤淳平)もまた、バツイチ子持ち女(ちすん)との南の島暮らしというおとぎ話に、見えぬ出口を無理やり見ようとする。「ガキ帝国」の高校生たちは大人の理屈という〈世間〉に巻き込まれて悲惨を見たが、本作では、すでに〈世間〉の理屈は若者たちにまとわり付き、彼らの意志と行動は〈世間〉に支配され一触即発の悲惨さをはらみながら、大人の一歩手前でガキのまま足踏みを続けているのだ。
気負いや説教臭さのかけらもなく、さらりと突きつけられたこの井筒の本音に「今どきの若い観客」は、いったいどう反応するのだろうか。耳に痛い話など、端から聴こえないふりで無視するのだろうか。それとも、しょせん〈世間〉の一部分でしかない、たかが映画のほざきなどには、気づきもしないのだろうか。井筒和幸と同様に、おせっかいながら私も気にかかる。
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