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[コメント] ヒーローショー(2010/日)

ヒーローショー』と私のリアル、ふたつのリアル。
林田乃丞

 もう10年以上前になるけれど、お笑いの養成所に身を置いていたことがある。お笑い芸人、タレント、声優、マンガ家、小説家、映画監督、舞台役者、ロックスター、なんでもよかった。あのころの私たちはできるだけ遠い夢に手を伸ばした。夢に耽り、夢に逃げ場を求めているときだけ、私たちはまともに呼吸をすることができた。そういう連中だけで徒党を組み、寄り集まって現実を憂いた。とてもひとりじゃ、現実に立ち向かうことなんてできなかった。

 ある日、ひとりの講師が言った。

「お前らは世間様に対して『自分、芸人を目指しています』と言える権利を、数十万で買ったんだ。しかも、これから死ぬまで『若いころ、芸人を目指していました』と言える権利だ。どうだ、安いもんだろう?」

 その言葉の通り、少なくとも私は当時、未来を見てはいなかった。社会のなかに自分の居場所を見つけることができず、“芸人志望”という、なんとも居心地のいい場所にいつまで留まっていられるのかと、震えながら日々を流していた。

 やがてぽつりぽつりと、私にも仕事が入り始めた。収録スタジオには大きなテレビカメラがずらりと並び、キラ星のようなスターが普通に歩いていた。スタッフさんは私を、そうした大物タレントと同じように丁重に扱った。私が汗をかけばうちわを扇ぎ、ドウランを塗りなおしてくれた。

 だが、カメラの前に立たされても、私は何もできなかった。スターになるどころか、たった1度の深夜番組の収録にさえ心の準備ができていなかった自分に、私は愕然とした。後日オンエアされたその番組のなかには、情けないほど挙動不審な人物が映っていた。まるでそれは、一般人がスタジオに迷い込んでしまった姿、つまりは放送事故にしか見えない映像だった。あんなにお粗末なテレビタレントは、後にも先にも見たことがない。お笑いの養成所に通いながら、私にとってお笑いの現場さえリアルではなかったのだ。そうして幾度かの放送事故を経験して私はお笑いを辞め、ほかの夢に逃げ込むことになった。いくつかの“○○志望”を経て今の職業に何とか落ち着くまで、あれから10年近くかかったことになる。あのころ仲間だと思っていたうちのほとんどはまったく消息不明で、何人かはテレビのなかで、あのころのまま爆笑をさらっている。

 『ヒーローショー』という映画をみた。そこには私にとって、ふたつのリアルがあった。

 福徳が演じたユウキは、紛れもなく私たちだった。私たちは、努力すれば叶いそうな夢になんて一切興味がなかった。そんなものは、己の怠慢と不能を証明するだけの刃物でしかなかった。夢は遠ければ遠いほど都合がよかった。遠い夢のなかに逃げ込んでいれば、不意に薄目をあけても怖い怖い現実を見ずに済んだ。私がユウキのような悲劇に取り込まれなかったのは、仲間内の狭い人間関係さえ曖昧に持て余していたからに過ぎない。

 もうひとつ、それは養成所出身のお笑い芸人というリアルだ。ジャルジャルのふたりは私より数年後に、私が身を寄せていた小さな養成所よりずっと苛烈な競争を勝ち抜いて、全国ロードショーの主役を張った。

 若いふたりにとっては、この作品さえ単なるステップなのかもしれないが、それは私が触れたことのない、触れようとさえしなかった私のリアルだった。

 劇場に出れば黄色い声援を独占し、テレビのなかでも自由に泳いで見せるジャルジャルに、もう嫉妬も羨望もない。彼らはきっと、初舞台のころから変わらない覚悟を抱いていたにちがいない。今だから、それは分かるんだ。当時、私のまわりにいた人間でいま売れている芸人たちも、当時とまったく変わらない佇まいでテレビや映画やラジオの仕事をこなしている。

 「むかしね、オレ芸人を目指してたんですよ。まぁぜんぜんダメだったですけどね」

 10年も前に不用意にこじらせた自己顕示欲を、こうして時おり吐露しながら、私は明日も仕事に戻っていける。私はたいへんに幸運な若者だったのだと、この映画をみて、そう思った。

(評価:★5)

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