[コメント] ハリー・ポッターと賢者の石(2001/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
◆映画はほぼ原作のまんまだったので、以下は両者に対する感想です◆
ハリーが赤ん坊の頃に悪玉の魔力をしのぎきっていることが、この物語をひどく魅力のないものにしている。赤ん坊の頃にしのいだ実績があるのだから、今だってこれからだってしのげるだろうと思ってしまう。ハリーは危機に陥らない。さしあたって主人公は安全なので、ドキドキしない。
ではこの物語でハリーは何をやったか。クィディッチというスポーツで活躍した。だがこれとて血統を背景にした素質によるもので、長嶋茂雄の息子がプロ野球に入ったことと大差ない世界である。それはそこそこ面白い現象ではあるけれど、それだけで息子を応援できるだろうか。できる人もいるかもしれないが、オレはそこからの彼自身の「人間力」を見ない限り、できないのだ。この物語は最後までハリー個人の「人間力」を描かなかった。
さらにいえばスポーツで勝つことや、寮の得点で優勝すること自体にたいした価値を見出せないオレにとって、このお話はかなり居心地の悪いものだった。あの点数至上主義の名門校では「勝つ」ことが何より尊ばれているような気がする。しかし生徒たちは心底「勝ちたい」と思い、納得した上で点取りレースに参加しているのだろうか。オレにはそうは思えない。言われるまま、わけも判らずやらされてるようにしか見えなかった。校長の採点には数字信仰を感じる。例えば「ロボコン」のガンツ先生の採点は実にいいかげんで、数字信仰は微塵も感じなかったのだが。オレはガンツ先生の方が好きだ。
そしてこの物語の魔法使いたちは、魔法を知らない「マグル」どもをサル扱いしている。これはカースト制だ! ピラミッドの底辺に一般人マグルの社会があり、その上に魔法使いたちの貴族社会がある。その中の名門ホグワーツ校にも階級があり、ピラミッドの頂点目指し駆け上ってゆくのが血統・潜在能力・素質を併せ持つハリー・ポッターである。ハリーは生まれながらの貴族であり、貴族であることに理由などなく、貴族であり続けることに何の覚悟もいらない。さらにピンチにも陥らないときている。
この主人公の個性があまりよくわからない以上、「とにかく四の五の言わずにピラミッドをのぼっていけばいいんだよ!」という物語にしか思えなかった。オレはあいにくそこに興味を持てなかったので、こんな低い評価になってしまう。たぶんハリーと同じ年頃にこの物語と出会っていても、正直言ってオレの評価は低かっただろう。
◆最後に、映画だけに対して一言◆
オバケイヌに出会った3人が、『ホーム・アローン』ばりに一斉に悲鳴を上げる演技。ああいうのは子供をバカにしているようで気分悪いんだよなあ。観客の子供たちもあんなマンガ芝居で喜びはしないと思うのだけど、ハリウッドの映画にはああいう子供がよく出てくる。なぜだ。
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