[コメント] タクシードライバー(1976/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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76年はロッキーとタクシードライバーが公開された年、歳が分かってしまうので言いたくないがオレが生まれた年なのでちゃんと憶えている
オレはよく自分を奮い立たせたくなる時「俺はロッキー封切りの年に生まれたんだ、どんな苦難も乗り越えて前進する力があるんだ」と言い聞かせる(ダサっ)
しかしこの76年はタクシードライバーの年でもある
見返した、見返したのは十年ぶりではきかないだろう
腐っている、世間のゴミをクズ共を洗い流したい、苛立つトラヴィス
売人より.44マグナムを購入する場面がある、連想するのはやはりハリーキャラハンだ
あれ?同じじゃねーか?シスコで街のゴミ共を苦い顔でにらみつけるキャラハン、ハリーはいかれた刑事でトラヴィスはいかれたドライバー、理由なんて後付けだ、憎い、街のゴミ共が憎くてたまらない
そう考えるとオレは空恐ろしくなったよ、トラヴィスの怒り、倒錯した暴力、似ている、ハリーだって結局バッジを投げ捨てたじゃねーか
そしてあのモヒカン姿のトラヴィス、議員暗殺未遂のシーン
演説する大統領候補、両手を挙げ聴衆に応える、バックショット、同じポーズの石像が被るショット、オレは思い出した、フィラデルフィアの拳を掲げるロッキーの銅像
もちろん同年封切りだし、ロッキーの銅像はもっと後の話だからこの類似に意図なんて全くない
ロッキーは負け犬だった、完全な負け犬だった、それがある日チャンプへの挑戦というきっかけで生まれ変わった、人生が変わった、そして15ラウンドの末、自分を証明した
トラヴィスも変わりたかった、目を潤ませ(なんて演技だろう)、ドライバー仲間に「参っているんだ、抜け出して何かやってみたい」と言う、しかし返ってきた応えは「夢を見るな、俺たちは負け犬なんだ」といった鉛のような諦念だった
もちろんオレはロッキーが好きだ、誰だってロッキーみたいになりたい、戦いたい、自分を証明し続けたい、しかし現実は、そう望むどれだけの人にチャンプへの挑戦のようなチャンスが巡ってくるのだろう?(甘ったれんな、自分の戦場くらい自分で見つけろと言われるだろう…)
しかしトラヴィスは、ああ、なんてことだ…しかし彼は好きな女とのデートにポルノに連れて行ってしまう男だ、ロッキーとは違う、閉まったスケートリンクに上手く言って潜り込み彼女を滑らせてやる、そんなことはトラヴィスには考えもつかないだろう
ロッキー、ごろつきのくせに!借金取りをしながら食いつなぎ、街の少女に説教を垂れても逆にバカにされる、そんなあいつが、なんでチャンプへの挑戦権を!くそ!俺は銃を向け鏡の中の自分と計画を練る、どんどんぶっ壊れていってしまうのに…
(酷い妄想だが)両手を挙げる大統領候補、そしてその後ろの石像、そこにロッキーを見たとき、オレは戦慄を覚えた
あの大統領候補の演説にオーバーアクションで拍手を送るトラヴィス、見たかあの姿、あの虚無、世界に対する敵意と憧憬
「ロッキー見えるか?俺だ、トラヴィスだ、ここにいる、ここでお前に拍手を送っている、見えるかい?」
76年、ロッキーとタクシードライバー、二つの英雄譚、誰もがロッキーになりたいと願うだろう、しかし本当のストーリーはどっちだ?本当の、リアルなストーリーはどっちなんだ?
鏡を見つめるあの目、凍てついたトラヴィスの76年の視線がそこにある
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