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[コメント] ヒア アフター(2010/米)

マイケル・オーウェンズの最高傑作。人々や建造物をことごとく薙ぎ倒し呑み込んでゆく津波がかつてないディザスタ・パニックの光景を呈示する。セシル・ドゥ・フランスが息を吹き返す場面で炎上する船舶を後景に見た仰角カット、地下鉄駅から煙が溢れ上がる俯瞰カットも『』に迫る黙示録的画像である。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画においてはストーリーこそが最重要であるという見解を公言して憚らず、脚本との出会いから映画制作を開始するクリント・イーストウッドだが、誰が撮ってもそれなりの作品になるだろうと思わせるような「完成度」が脚本選びの基準でないことは明らかだ。このピーター・モーガンによる脚本が「よくできた」ものだとは私には到底思えない。

本来こんな脚本は映画として成立しないはずなのだ。それでもこの映画は無茶苦茶面白い。イーストウッドはどんな脚本からも「映画」を起ち上げてしまうのではないか。そのさまはまるで錬金術のようだ。普通、たかが「料理教室」や「ブック・フェア」がこんなに面白いわけがない。イーストウッドは錬金術的演出力をもってそれらを破格に面白いシーンに仕上げてしまう。ラストシーンはどうか。ここも脚本上はまるでラストシーンの体を成していない。むしろ物語はここから始まるべきではないのか。しかしながら映画の終幕としてこれ以上望みようのない充足感に溢れているのも事実だ。物語としてはまったくラストシーンらしくないにもかかわらず、マット・デイモンとドゥ・フランスの笑顔が、彼らとカメラの距離が、イーストウッドの手による音楽が、「完璧な」ラストシーンを形作ってしまう。やはりイーストウッドは錬金術師であり、詐欺師だ。

あるいは次のように云うこともできるかもしれない。各シーンの物語的情報の疎密にかかわらず、イーストウッドは全シーンに対して等しい大きさの関心を向け、等しく高密度の映画的情報を盛り込んでしまう。たとえば、物語を円滑に進めることを第一にするのであればさらっと語り終えてしまうべき料理教室に尋常でない官能性が見出され、たったワンシーンの出演者にマルト・ケラー(!)が招聘される(そしてデレク・ジャコビも!)。いや、出演者が有名か無名かというのはもちろんクリティカルな事柄ではない。デイモンの兄ジェイ・モーアや双子につきまとうソーシャル・ワーカーのレベッカ・ステイトンデクラン・コンロン、さらにはドゥ・フランスが一度だけ訪れるセラピストのような人でもよい。出演者全員が役の重要性の大小をまるで無視した強烈な存在感を主張する。それは起伏と緩急を旨とするべき物語にとって好ましい事態ではないはずだ。しかしそれによって全シーンが一貫してありえないはずの面白さを獲得する。

さて、以上は一種の脚本軽視と云ってもよいのではないだろうか。脚本を重視しているというイーストウッドの言葉におそらく偽りはない。しかし脚本に忠実であろうとする姿勢が、実際に映画を撮る段になっては脚本軽視的事態を不可避的に発生させる。映画撮影においては「裏切り」によってしか脚本に対して忠実であれないとでもいうように。このような引き裂かれた感覚が『ヒア アフター』の奇妙な触感の一因ではないかと思うが、引き裂かれたということに関しては次のことにも触れておきたい。双子ジェイソンとマーカスを演じたのは実際にも双子であるフランキー・マクラレンジョージ・マクラレンの兄弟であるが、「マクラレン兄弟はどちらもジェイソンとマーカスの両方を演じた」のだという。これはいったいどういうことだろうか。ボディダブルの方法論の拡大適用だと云うこともできるが、要するに「見分けがつかなければ誰が演じても同じである」という視覚の無視であると同時に、視覚をこの上なく尊重する態度ではないか。むろんこのような例は(動物や赤ん坊を別にしても)他にもないではないだろうが、それをここまで平然かつ堂々と行ってしまうイーストウッドによって「映画」はもう崖っぷちまで追い詰められてしまったのではないかと、何やら空恐ろしさを覚えてしまう。

果たしてこの奇妙な作品が映画の新時代を告げるものなのか、率直に云って私はそれに対しては懐疑的である。脚本の(不)出来具合と、映画に対するイーストウッドの独特の姿勢および圧倒的な演出力が起こした化学反応の産物に過ぎないと思っている。しかしひとつだけはっきり云えるのは、過去の三〇にも及ぶイーストウッド監督作のどれよりも『ヒア アフター』は過激な映画であるということだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)disjunctive[*] 緑雨[*] Orpheus ぽんしゅう[*] けにろん[*] セント[*] 赤い戦車[*]

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