ぽんしゅうさんのコメント: 投票数順
キング・コング(1933/米) | 1931年。世界大恐慌のさなか高さ443メートル、102階建てのエンパイアステートビルはその美しい姿を現した。近代アメリカの誇り。まさかその2年後に、恋に狂う巨大な獣がその頂点を征服しようとは・・・。悲しいふとどき者の物語。 | [投票] | |
西部の男(1940/米) | 奇をてらわず丁寧なウイリアム・ワイラーの画作りにハリウッドの王道を感じる。ロイ・ビーンの徹底した単細胞的傲慢さが最後には可愛らしくさえ見えるのは、ウォルター・ブレナンの人なつっこい笑い顔のたまもの。 | [投票] | |
左ききの拳銃(1958/米) | 本作から9年後『俺たちに明日はない』を撮ることになるアーサー・ペンは、このデビュー作においてすでに反ヒロイズムを志向していた。ポール・ニューマンのアクターズ・スタジオ芝居が当時のJ・ディーン同様ちょっと鼻につく。 | [投票] | |
ピンクの豹(1963/米) | クラウディア・カルディナーレをとりこにするほど、ファントム(デビッド・ニーブン)が魅力的な色男かどうかは多少疑問だが、ニセ妻(キャプシーヌ)に対するクルーゾー(ピーター・セラーズ)のマヌケなひた向きさは、同じ男として共感できる。 | [投票] | |
ネバダ・スミス(1966/米) | マックイーンの成長ぶりが面白く話の展開も大胆で最後まであきないのだが、結末には先住民族とのハーフという主人公の設定におもねった白人のご都合主義的ヒューマニズムのいやらしさを感じなくもない。 | [投票] | |
動く標的(1966/米) | オーソドックスな筋立ての話を気負うことなくシンプルにまとめてあるので最後まで安心して観られる。ポール・ニューマンも肩の力抜けていて気持ちよさそうにハーパーを演じている。 | [投票] | |
ジーザス・クライスト・スーパースター(1973/米) | 歌と踊りと舞台装置をどう映画的に処理するかがミュージカル映画の面白さだと思うのだが、初めに映画のフレームありきで全てその範疇に押し込んでしまったような窮屈さがある。躍動感のない退屈なミュージカル“風”映画になってしまった。 | [投票] | |
あした来る人(1955/日) | 今ならTVドラマの原作であるだろう井上靖の軽い文芸映画。50年代の映画量産時代ならではの作品なのでしょう。演出は充実してはいるのですが、あくまでも身勝手な男達と何でそこで悩むんだろうという女達の価値観は、今となっては時代遅れで退屈。 | [投票] | |
陽炎座(1981/日) | 不連続から非連続へ。こちら側の裂け目から垣間見える妖艶な世界にとり憑かれ、ふと気がつくとこちら側と断ち切られた妖気の世界が目の前で踊る。高みの見物と決め込むが良い。連ならざる世界など立ち入らぬが良い。魂のやり取りなどせぬが良い。 | [投票] | |
バカヤロー!2 幸せになりたい(1989/日) | また森田芳光のはからいで、CF、助監督、演劇の世界から、とりあえず4人の有望新人監督がニッポン映画界にデビューしたわけですが・・・・ [review] | [投票] | |
幕末純情伝(1991/日) | 原作をあたり障りなくかいつまんだだけの脚本。それはただの進行表。カメラの前で役者に芝居をさせただけの演出。それはだだの作業。何も生まない徒労の集積。映画のカタチをしているように見えるが、これは映画ではない。 | [投票] | |
連弾(2000/日) | 男にも女にも、そして子供にも、葛藤のもの足りなさを感じてしまうのだが、「戯れ歌」を随所に挿入することで、このテーマにありがちな過剰な湿っぽさや思い入れをかわそうとした竹中演出の成果ととりたい。 | [投票] | |
炎上(1958/日) | 劣等感に痛みきった少年は憧れの驟閣寺へと逃げ込み驟閣寺そのものになる。青年へと成長し自らを変えるために、変わらぬ美・驟閣寺を焼かねばならぬ。残ったのは抜け殻。矛盾に満ちた成長記。 | [投票] | |
ダラスの熱い日(1973/米) | 調べ得る事実の断片を巧みに並べ、その隙間を想像力で埋めただけのドルトン・トランボ脚本が、面白さの80%を占める。それだけに物語としての、ダイナミズムが足りないのが欠点。うなずくことは多いがちっとも楽しくない野村克也氏の野球解説と同じ。 | [投票] | |
野性の叫び(1972/米) | チャールトン・ヘストンはじめ、人間たちはなんとか狼には食われずには済んだが、すっかり名犬バックの熱演に食われてしまった。人の欲望にもてあそばれ、野生と理性の間を彷徨うバックの最後の叫びが切ない。 | [投票] | |
ジョンとメリー(1969/米) | 公開時期と表現手法からアメリカン・ニューシネマに分類されるようですが、当時の若者を等身大でポジティブにとらえているという点で異色。10代の頃に見て、その自由な生活と感覚に憧れ、ミア・ファローの可愛らしい声にもドキドキしたものでした。 | [投票] | |
シンシナティ・キッド(1965/米) | キッド(S・マックィーン)に夢と欲を託しつつ、手のひらを返すように振舞う人々。勝負師として背負わなければならない孤独の重さに初めて気付いたこの時から、彼の本当の人生は始まるのだ。ノーマン・ジェイソンのメリハリの利いた画作りが好きだ。 | [投票] | |
勇気ある追跡(1969/米) | 敵討ち少女(キム・ダービー)と州連邦局保安官(グレン・キャンベル)に、映画的な魅力がまったくなく、タラタラと成り行き任せのヘンリー・ハサウェー演出が退屈さに追い討ちをかける。ジョン・ウェインのオスカーは孤軍奮闘賞なのだろう。 | [投票] | |
月世界旅行(1902/仏) | リュミエールの「工場の出口」からわずか7年で、映画がこれだけの表現力を持ちえたのはフィルム媒体の持つ可能性の大きさと興行的価値、そして人間の想像力の賜物だろう。次に何が飛び出すか分からない、幼稚園のお遊戯的構成と舞台装置が楽しい。 | [投票] | |
しあわせ家族計画(2000/日) | 脚本を書いた山田耕大と、監督をした阿部勉という人の映画的センスの無さは資質の問題だと思われるのであえて責めないが、生活する者を定型にはめ、観客をなめる態度は許しがたい。無意識だとしたなおさらのこと。 | [投票] |