[コメント] ビューティフル・マインド(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ALPACAさんに共感します。
現在生きている著名な天才数学者を借りなければこのテーマは描けなかったのだろうか。 無名な人、あるいはすでに亡くなっている人だったら、もっとすんなり受け入れられたのではないだろうか。 そんなことを考えた。
事実と映画的な虚構の関係にとまどう映画だった。大学名を始めノーベル賞というような現実そのままを使わないで、全体の構成をフィクションをして描いた方がよかったのではないだろうか。そう思えてならない。 シックス・センスも同じテーマを抱えている、と私は思っている。障害者の社会参加という問題である。多くの人と比べて障害と思われる特性がそのままで人の役にたつ、といいな、と思っている。
予告編が始まる前に、メッセージ広告が映し出された。精神障害に関わる諸学会の共同宣言で、公共広告機構が流すテロップと同じ理念で製作されたと思われた。精神に障害を持った人に理解のある「豊かな社会」をめざしましょう、そんなメッセージが込められていた。 ジョン・ナッシュは精神に障害があってもノーベル賞を受けるような活躍をしました、そういう文脈である。「分裂病」という言葉は慎重に避けられていた。「スキゾフレニー」と学術用語を使っていた。業界以外に通用するのだろうか、そんなことも頭をかすめた。
もちろん私はそのメッセージに異論はない。だが「啓蒙」に使われる映画に対しては身構えてしまう。素直になれない自分にも少しとまどう。
そんな映画「以前」の問題を除けば、押さえた描写に的確な映画音楽、ハリウッドの力量をあますところなく示した映画である。 ラッセル・クロウ、ジュニファー・コネリーは甲乙つけがたい名演。幻覚を実体化して示す演出に「啓蒙」の匂いを感じるが、あざとい印象はない。ロン・ハワードの手腕はしたたかである。薬をやめた理由が「妻を拒んだ」から、というところでは涙ぐんでしまった。患っている人は人知れずせつない努力をしているものなのだ。 星座を示すところ、論理的にあけすけな申し出をアリシアが受け入れるところ、いずれも感動的である。アメリカン・ビューティに続いての「beautiful」がキーワードなアカデミーの受賞は、自由・平等・正義といった価値ではおさまらないアメリカの現状がうかがえよう。
もやもやを抱えたままとりあえずのコメントとします。
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