[コメント] マタンゴ(1963/日)
黒澤監督の場合・・・脚本が内包する文学性ばかりを重んじて轟沈、極度に重いエゴと欲望の生還不能ドラマに自ら困惑、いかにしてヒューマンな結論に持って行くかを考えすぎ、製作期間は延々と遅延、気づいた頃にはスタッフ全員マタンゴになっていることでしょう。何より水野久美サマまであっさりキノコにしてくれちゃいそう。それは萎え萎え。
駿御大の場合・・・なんか短小なマタンゴばかりになりそう。あれ、ナニ言ってるんだろう? そもそもこの人の場合、水野久美サマを使ってくれそうにない。代わりに何を持ってくる? 想像するだに面倒くさい。脚本も根底から変えるでしょう。「たかが島、一島? 生温い! 現代文明の堕落を見よ! 世界はマタンゴ野郎どもの温床だ。片っ端からマタンゴにしちまえ! あれ? それじゃあ腐海だなあ? まあ、不快である事にかわりはない。なぎはらえ〜!」
エンターテイメント作品ばかり撮った本多監督は、そういう職人だから特撮に埋没したわけじゃないんです。彼が撮っていたから、特撮はここまで残ったのです。自分にとっては、その最大の魅力が女性の描き方なのです。
「確かにキノコ食って化け物になるんだけど、キノコ食うたびにどんどん美しくなるってのも、一つの化け物への変貌なんじゃないかい?」
水野久美さんは、この映画で、監督にそう言われたそうです。
これをフェミニズムだと糾弾する人とは戦う用意があります。いや、失礼。でも、娯楽映画に対する観客の欲求を無理なくすくい上げていると思いませんか? まだキャリア・ウーマンなんて言葉もあったかどうか微妙な時代です。そんな時代にエンターテイメントの中で、無理なく女性に活躍させる本多演出。黒澤監督の女性演出は、特殊な場合(『七人の侍』における土屋嘉男の女房とか)を除いて、基本的に色気がありません。宮崎監督の少女は、基本的に彼の思想(と背中合わせの趣味)から生まれます。
本多監督のように、少年に対し、さり気なく女性の色気を見せることができる監督がいないのが残念でなりません。エンターテイメント作品にも、あるいはアニメにも。金子修介監督がいますが、あの人は本多と宮崎の中間ぐらいかな。とにかく欲しいと思います、本多猪四郎のような監督が、今の日本映画に・・・
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