[コメント] ボヘミアン・ラプソディ(2018/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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曲の使い方も素晴らしくて、油断してたので不意を突かれて涙腺が崩壊するフォックスファンファーレから、フレディの孤独を歌う「サムバディ・トゥ・ラブ」(鏡の前のフレディを映しながら「毎朝起きるたび僕は少しずつ死んでいく。なんとか起き上がって鏡をのぞき込むと泣きたくなる」って歌詞が脳内を流れるのもベタだけど、ベタだからこそ良い)を経てライブ・エイドをガッツリ見せてくれた後に、人生を駆け抜けたフレディをたたえるかのようなエンディングのドント・ストップ・ミー・ナウ、そして「ダヨネー」となる最後の「ショー・マスト・ゴー・オン」まで、曲が流れるごとに涙腺が緩くなるのを楽しみました。
あと、本人が「自分かと思った」と言ったブライアン・メイ以外のメンバーもそっくりなのも嬉しい。ただしフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックは(頑張ってはいるけど)ライブシーンで「これじゃない感」。とは言えフレディの体幹を表現できる人類はきっといないのだ。
<2018.11.25追記> 命日に合わせて2回目を見に行って気付いたんだけど、この映画の裏テーマ曲、というか真のテーマ曲はボヘミアン・ラプソディではなく「Somebody to Love」じゃないかしらん。
冒頭歌詞付きでライブエイドを前にした鏡の前のフレディに上記の通りの歌詞付きで流して、でもバンド加入後の最初のライブの「Keep Yourself Alive」では「鏡は何百万枚も売ったけど自分の顔なんて見たことない。奴らはスーパースターを目指せというけど今の自分で満足しとけ」と言い放つ。
そしてラスト、再びライブエイド直前の冒頭のシーンの鏡の前のフレディに戻って流れる「Somebody to Love」には歌詞がなくて、だからこそ観客の頭の中では歌詞が流れている。そして彼の立つライブエイドのステージ。「身の程を知っておけ」と歌ったかつてのヒースロー空港の荷物係を最後に待っていたのは10万人の大観衆、傍らには彼の「家族」であるバンドメンバー。
実は「Somebody to Love」は邦題「愛にすべてを」から連想されるのとは違って、どんなに働いても楽にならない孤独な暮らしの中、神への愛を失いかけた男が「誰か僕に愛する相手を見つけてくれ」と叫ぶ歌だと私は解釈しています(見つけてくれと言ってるのは、いわゆる恋愛の相手ではなく、信仰の対象で、おそらく無神論者の私なんかには想像もつかないほど、信仰の対象を失うことへのおそれってあるんだろうな)。
そう思って聴くと、当時ゲイの間で流行したことから「神の教えに背いたことに対する天罰だ」とも言われていたエイズに罹った彼を象徴するかのような歌詞でもあります。
でもね、ステージに上がった彼は、彼を愛する大観衆と、ブライアン、ロジャー、ジョンという仲間こそ愛すべき対象、Somebody to Loveであることを見いだしたのではないでしょうか、というかそう思いたい。
おそらくそれがやりたかったからこそ、(史実とは異なるとしても)フレディはライブエイドの前にエイズであることを知らなければならなかったのだし、だからこそこの映画はフレディにとって、救済の物語になっているのだと思うのです。
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