[コメント] パターソン(2016/米)
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ここで描かれるのは、身の回りの何気ない日常の積み重ねこそが個人にとっては最高最大の物語だとでもいうべき、ごくごくミニマルな世界であるが、まずはパターン化されるパターソンの生活スタイルを楽しく観た。
例えば毎朝起きる時間が決して目覚ましなど使わず、だいたい6時頃というのがよい。この辺りからは深読みすると、軍人時代の規律正しい生活から離れた解放感と、それでいてその規律からいまだに逃れられない習慣のようなものが感じられ、彼の映画的性格づけの根本となっているように感じ取ることができる。その性格づけは、平日はシリアルで1人朝食を摂り、いつもの道をいつものスピードで歩いて出勤し、そしてバスでいつもの道をいつものスピードで運転し、いつもの場所で工具入れのような弁当箱を開いて愛妻の写真とともに昼食を摂り、帰宅後は愛犬の散歩かたがた行きつけのバーで一杯だけビールを飲むというスタイルの連写により確立されるのだが、まずこの基本があるから、バスから見えるパターソンの町の風景は変わらずとも、そこにいる人の違いや乗客の何気ない会話の違いが生きてくる。それは例えばそっくりそのままのようでいて、実は少なからず違うところのある双子のようなものである。その暗喩も楽しい。
そんな少しの変化を楽しむ繊細な彼の趣味が、時には何気ないマッチ箱にさえ美意識を見出し詩作にふけることというのもよい。またその趣味を、妻や愛犬といった家族以外の彼のほぼ唯一の生きがいとしたことも、その後における愛犬による大事件へとつながる大きなキーとしてよく効いていたが、愛犬といえば、直しても直しても傾いている郵便受けや、こいつは一体いついなくなるんだろうというサスペンス演出も含め、その扱いの巧さにも唸った。こういう筋書き的には何の意味もないお遊びもジャームッシュ作品を観るうえでの大きな楽しみなのだが、そういう意味での今回のそれも最高だったと思う。
そんな本作は、永瀬正敏の出現により確実に空気が変わる。それは彼だけが極めて非日常的な存在だからであるが、そんな彼の存在によりまた主人公が日常に戻っていくという収まり方も自分には心地よかった。
冒頭に記したようなミニマルな世界観から、本作が『ストレンジャー・ザン・パラダイス』などの初期作を想起させ、原点回帰といった評が見られるのもわからなくはない。しかし、新鮮味あふれた初期作と、作家としての成熟を感じさせる本作とはまさに似て異なるものだと私は思う。が、その違いは、一見するとバスから見えるパターソンの町のごくわずかな違いのようなもの程度にしか見えない。そこがジャームッシュのジャームッシュたる所以なのだろうし、だからこそ彼は、長年映画ファンに愛される存在なのであろう。
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最後に余談だが、本作での永瀬の姿を見ながら、またいつか彼の作中でジョン・ルーリーの姿を見たいものだと思ったのは私だけか。難病に侵されていると聞くが、それはもう叶わぬ夢なのだろうか。
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