★3 | 英語タイトルは「Eccentricities Of A Blond-Haired Girl」。ブロンド少女のルイザは、通りを挟んだ建物の窓の向こうに、東洋風の扇子を持って登場する。以降、何度も窓が映される、本作も窓の映画なのだ。 [review] (ゑぎ) | [投票] |
★4 | 女の矯激は、男の背後から窓向こうの女を補足するといった、多重の構築物のフィルタリングによって、常に客体化の危機にさらされている。抽出されるのは「莫迦じゃなかろうか」と嘆じさせずにはおかない矯激の奇特な振る舞いである。 [review] (disjunctive) | [投票] |
★4 | 画面の中の画面の様な「窓」という縁取の枠組が、男女二人を結びつけたと言ってもいい。窓は四角形に視界をきりとることで、きりとられた対象を一個の肖像として仕立てる。画面の中で全ては生起する(全てを描写する)というサイレント映画的モラル。リカルド・トレパの少女を見初めた瞬間の正に「見初めた」表情。 (鷂) | [投票(1)] |
★5 | 唐突とも思える終わりかたに、あーやっぱりくえない監督、健在だなあと嬉しくなった。くえないくせに、わりと長めに挟まれるポルトガルの夕景とか、そんなギャップにちょっとやられる。 [review] (なつめ) | [投票(4)] |
★4 | ラストの呆気なさをどう解釈するかで評価が分かれそう。どのカットも強度があって決まってる。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | 車掌が列車で切符を切る。しばらく車掌を被写体にした映像が続く。でもそのうち車掌は用を済ませ車両から出ていく。拍子抜けのような観客に、元美人風の実女と何か悩んでいる風の青年にピントが合ってくる。ここでオリヴェイラの企みは成功している。
[review] (セント) | [投票(5)] |
★5 | 根性悪に見えても清新な気概を持ち、無垢な魂の裏には悪魔が潜む。仄かにズレた間合いの居心地悪さと一筋縄ではいかない狂気の片鱗を散りばめたオリヴェイラ節の最高度の凝縮と結実。畳み掛けるラスト3カットの内包する映画性は最早神の領域。 (けにろん) | [投票(3)] |
★3 | ブロンド少女カタリナ・ヴァレンシュタインは実に優雅で美しかった。そのことは間違いない。そして目で見るその美しさを、更に想像によって美しく思わせる映画なのかもしれない。 [review] (シーチキン) | [投票] |
★3 | 昨今の大仰な映画的オチに比べれば衝撃度は軽量級かもしれないが、純粋に愛に生きる青年を襲った出来事は確かに許しえない大事であり、大倫理にかまけ小倫理をないがしろにする現代人に改めて罪の原点を知らしめ、人の基本を覚醒させたという点で刺激的である。 (ぽんしゅう) | [投票(1)] |