[コメント] トゥモロー・ワールド(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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20年先の未来カーなのに「押しがけ」でエンジンをかける主人公を見て、この監督は未来の世界なんか全然興味ないことを確信。この映画の時代設定は別にいつでもよかったんだ。
驚くのは、18年間にわたって誰ひとり妊娠しなかったという超大風呂敷を広げておきながら、なぜ彼女だけが妊娠したのかという点を明らかにしなかったこと。以前、何かのレビューで「仮想世界を描くならその成立と崩壊の過程には強力なロジックが必要だろ」とか偉そうなことを書いた覚えがあるんだが、この映画はその成立の理由も崩壊の理由もまったくもって描かない。なぜ世界中が不妊なんてことになったのか。彼女は妊娠したけれど、それは突発的な変異なのかそれとも新たなる「妊娠時代」の始まりなのか。それすら分からない。
この映画が描くのは、子供が生まれなくなると人間ってのはホントに絶望しちゃうんだぞというその一点のみだ。
ただしその絶望ぶりに関しては、容赦なく描く。
印象に残る描写は、セオがキーたちを連れてじいちゃんの家に隠遁しようとするシーンだ。陽だまりの中、動かないじいちゃんとばあちゃん。手元には安楽死できるというクスリが転がっている。ここで主人公が見せる、驚きと悲しみに少しのあきらめが混じった表情を見るにつけ、「あの陽気なじいちゃんさえも生きることに絶望してしまうほど、世界が変わってしまったんだ」という事実がズシンと突きつけられる。実際は死んではいなかったんだけど、死んでたとしてもしょうがないよね、というシーンである。
そして敵も味方もない無茶苦茶な銃撃戦。どんどん殺されていく人たち。何かに駆られるように、誰かが誰かを殺し続けている世界。まるで、もう世界なんかさっさと終わってしまえばいいと、早く絶望から解放してくれと、みんながそう言っているようにさえ私には思えた。
そんな絶望の中で子供が生まれ、能天気なくらい真っ白な「トゥモロー号」が迎えに来る。
ふと、このラストシーンを見て考えた。世界中の「不妊」という状態が、赤ん坊側の意思によるものだったとしたらどうだろう。赤ん坊のほうが、「こんな世界に生まれたくねえよ」という意思を持って、母体に宿ることを拒否していたのだとしたら。そして18年たって「トゥモロー号」が迎えに来てくれるという運命を授かり、ようやっと「そろそろ生まれてやるか」という具合に彼女の胎内に生を宿したとしたら。
そう考えてみると、未来カーや未来戦争にまったく興味のないアルフォンソ・キュアロンが作品舞台を未来に設定したことにも納得がいく。この世界は「現在」から18年後の世界だ。分水嶺は、私たちが生きている「今」なのである。
この映画にひとつの解釈を求めるとするなら、私たちは、まだ生を受けぬ赤ん坊たちが「ここに生まれたい」と思えるような世界を、今まさに作らなければならないのだと、そういう物語ではないだろうか。
だとすれば、「今」を生きる私たちの、未来に対する責任はとてつもなく重いということになる。
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