[コメント] 日本沈没(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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豊川悦司が「ふじゃけるにゃー」とモニタにへなちょこストレートを打ち込んだ時、すでにイヤな予感は感じていた。あの瞬間、台詞に妙な空回りを感じたからだ。ただその時はそれがたまたま垣間見えただけのことと思って目を瞑った。ところがその後も同じような空回りが次々と顔を出し始める。
まるで「わたくし気が狂っているんですの」と言わんばかりに「すいません・・・」を繰り返す死体置き場の母。「ここはこう叫ぶべきだ」と教科書に書いてあるような柴咲コウの「バカヤロー!」。僕の中では信頼のブランドである及川光博や國村隼ですら、そのベタな人物像に対して微妙に浮く瞬間がある。これは役者のせいではない。脚本と演出がマズいんだ。自分に酔うあまり、ステレオタイプな感情表現を大仰に打ち出すことに微塵の躊躇も感じていない。
草なぎ剛と柴咲コウの最期の別れに久保田利伸の歌が大音量で被せられた時、この疑念は確信に変わった。そしてわだつみ2000がN2爆薬をビーチフラッグの試合のように奪取した瞬間に笑いに変わった。ちゃんちゃら可笑しいよお前。あんなに派手で精密な動きができるんだったら、その後爆薬を投入する時の緊張なんて何の意味もないだろう。恥ずかしさへの平衡感覚を保ち得ない作品は下品だ。
主人公の物語を恋愛に集約してしまったのもヌルいし、その結末として主人公の守るべき人たちが全員助かっているのもヌルい。日本中で何千万の人間が死のうと、映画内においてそれは「他人ごと」なんだ。恋人と娘と母と姉ともんじゃ焼き屋の面子が生き残れば、それでめでたしめでたしなんだ。そこで描かれるのはもはや「日本の沈没」ではない。もんじゃ焼き屋の常連は次々と死ぬべきだし、恋人は大怪我くらいするべきだ。でないと死んだ何千万人に失礼だよ。
結局このヌルさが「災害映画でありながら死の匂いがしない」今作の指向性そのものとなっている。死から目を逸らしながら、ヌルい愛の物語を大仰に描くことでその埋め合わせをして感動を拾おうとしている。
主要都市の水没した景色やN2爆薬による大爆発など、樋口真嗣的な画面作りには大変ご機嫌なものがあった。空回りせずに物語を紡いでいる役者さんも多くいた。長山藍子とか。だからこれだけブーブー言いながらもラストでは不覚にも涙腺が緩みそうになったし、その感動プレゼンツに乗る人の気持ちも分かった。恐らく製作側はこういう映画を作ろうとして作ったんだろう。その目的に対しては決して失敗しておらず、ただそれは僕が好きなやり方ではないってことだけだ。
映画館では僕の5列くらい前にカップルが座っていて、彼女が彼の肩に頭を預けながらスクリーンに見入っていた。彼らがどういう感想を持ってそれを観ていたかなんて知らないんだけれど、ただ僕の目に入ってきた「災害映像とカップル」の構図がとても象徴的に見えて、「あぁ、これってこういう映画なんだよな」などと思わされてしまった。
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