[コメント] ゴジラ(1954/日)
ゴジラは怒ってなどいなかった。ゴジラはひとりひとりの人間を殺戮するために振り返ることはなかった。だからゴジラは純粋な災厄たり得た。ゴジラのために憐憫に肩を落としたのは志村喬のみである。
この映画のゴジラに人格などはない。ただ本能に従って上陸し、破壊の限りを尽くして去るのみだ。だからゴジラを恐れる人々は、ゴジラの怒りを恐れていたのではない。ほんの十年前の空襲を恐れていたのと本質的には変らない。だから恐ろしかったのだ。
この映画が本質的に「恐怖映画」である、と自分が断言する所以はそこにある。
ゴジラのために心を涙で濡らしたのは、大科学者である志村喬だけであった。災厄のためにその消滅を嘆く者は、それを学究する徒以外にあり得ようか。要するにそれはエゴイズムに満ちた感傷だ。
1984年版のゴジラにおいて、他ならぬ総理大臣が涙を流したのは、そして「VSキングギドラ」においてかつてのゴジラの前身に助けられた将校がその後対等の立場でゴジラと対峙したのは、災厄という人ならぬモノを見誤ったセンチメンタリズムだ。
*念のために。ゴジラを全く別のベクトルで捉えている、ミニラの親であったりするところのゴジラに対する人々についてまでは、この文章は言及するものではありません。
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