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[コメント] 鳥(1963/米)

「理由もなく人を襲うか?」いや、「人を襲うのに理由が要るのか?」理由がないものに心と秩序を掻き乱される人間たち。理由はないはず。しかしヘドレンは災厄の中に自らへの懲罰を見出してしまう。私は鳥の声が、顔のない、個のない「マス(大衆)」の暴力と嘲笑、或いは悲鳴のように聞こえた。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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今ならSNSの暴力などへの教訓を見出す人もいるだろう。顔のない、個が紛れた暴力。彼らは鳥のようなものだと。しかしその感慨も相対的なものだ。たかがいち個人を罰するために自然が大挙して押し寄せるだろうか?因果関係、理由があるわけがない、ほとんど人の思い上がりのようですらある。登場人物も、何かの比喩を読み取ろうとする観客も、理由のないものに対峙した人間は意味づけ、関連付けに汲々とする。不安だからだ。鳥の真っ黒な奈落の瞳を覗き込む時、深淵もあなたを見返す。鏡のように(劇中、鏡が挿入される。意識された演出かは知らない)。鳥の災厄に対して、観るものの不安が抽出される。

前半は鳥の不穏を挟みつつもかなりタルい。主線との関連性のなさにイライラ、戸惑わされるのだが、しかしこれは意識的なものだろう。関連性があってたまるかという話なのだから。一方、これはヒッチの、というより観客の加虐欲を誘うような展開だ。男どももかなり苛立たしいのだが、特にヘドレンはほぼ完全に針が飛んでるお嬢さんで、さっさと酷い目にあってくれんかな、と思いながら観ていると、後半から急激に反転攻勢をかけてくる(ぴったり1時間過ぎたあたりからだ)。それが思った以上にサディスティックで、カタルシスを軽く飛び超えて罪悪感がもたらされる。加虐欲が鳥に憑依して暴走しているのを眺めて後悔しているような塩梅なのだ。不安を抽出されると書いたが、こちらの欲望が抽出されている側面もある。それは、ホラーの本質の一つなのではないだろうか。

鳥が群れている画はどれもすごいと思うが、劇伴なしで飛び交うカラスにクレジットが八つ裂きにされるオープニングは全く古びないスタイリッシュさでかつおぞましく、素晴らしい。深淵、という意味でもカラスのシルエットの徹底した黒さは特筆だし、インコの真っ黒でつぶらな瞳を捉えたカットも重要なショットとして挙げておきたい。炎上するガソリンスタンドと街の俯瞰、どこかで観たな、と思ったら『シン・ゴジラ』(銀座、霞ヶ関周辺壊滅直後)だった。鳥の、発作のような襲撃と沈黙が繰り返される、理由のわからない不気味なリズムも相似している。影響を受けたとしても、おかしくはないと思うのだが、果たして。

キャシー役が『エイリアン』のランバート役のヴェロニカ・カートライトでびっくり。可愛かったんですね、、、この頃から怯える演技が上手。凄いフィルモグラフィだな、と思いました。

(評価:★4)

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