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[コメント] シン・ウルトラマン(2022/日)

のっけからシン・ゴメスにずっこけたが、メタもなく、ひたすらくそ真面目に成立させられるものではないというのは、テレビでやっている本家の末裔もいっしょだ。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そちらではそろそろ新作が始まるらしいが、前々作の『ウルトラマンZ』は親子がいっしょに楽しむのにほどよい塩梅で、「俺は新マンまで」とか言いがちな痛いオッサンとしては正直ウルトラマンはZさんぐらいだと子供への面目も立ってありがたいのだ。一方で樋口さんには、そろそろ世間に有無を言わさぬソロ作品をものしてほしいと思っていた。『ローレライ』のころから思い続けてきた。

 しかし改めて実感したことには、残念ながら樋口監督の人物演出は凡庸の域を出ない。禍特隊のメンバーが狂言回しにしか見えない。キャップも、量子学者くんの逡巡も微妙。長澤さんのウルトラマンに対する理解や感謝も、あまり迫ってこない。セクハラ演出がへたくそなのも問題だ。「今日こそ風呂に入れると思ったのに〜」とか段取りくさくて萎える。この監督が人類の半分を活写する日は今後も来ないだろうと思えてしまう。政府面々の描写も『シン・ゴジラ』に比べたら書き割りレベル。オリジナルとして、『大怪獣のあとしまつ』なんかを完膚なきまでに始末してほしかったのに、人物描写の弱さが活劇としての快感を弱めてしまっている感は否めない。くわえて今回は、脚本も微妙なのだ。ゾフィがゼットン連れてくるとか、どうもしっくりこない。俺が見たいのはあくまで宇宙恐竜であって、使徒ではないのだ。

 何というか、やっぱり愛が強すぎると偏るのだろうか? たとえばライアン・クーグラーが『クリード』を撮ったとき、シリーズのおいしいところを抽出しつつ、痛いところは巧みに避けて成功したように見えた。ところがこの庵野脚本、ソフビサイズがくるくる回転とか、パゴス、ネロンガ、ガボラのバラゴン・ボディの使い回しとか、偽ウルトラマンとか、フジ隊員の巨大化とか、一兆度とか、シリーズのなめられそうなところをあえてぶつけてくる。反面、バルタンもゴモラもレッドキングもダダも出てこない。それはそれで面白いんだけど、一方で設定の言い訳はせずにいられない。例によって面倒臭い台詞が今回は空回りで、うちの子供たちはポカンだった。これ見ると、『シン・ゴジラ』の群像劇の涼しさは奇蹟だったのかもしれないとさえ思えてくる。

 しかし、だからといって見所がないのかと言ったら、まったく逆で、上述したようなことに辟易させられながらも、むしろ見所しかない、実に変な映画となっている。この方たちは女も男も深く描きやしないのだけれども、ウルトラマンや外星人はこの上なく突き詰めるのだ。主人公たる斎藤工には不満がない。ザラブをきちんと受けていたし、山本耕史のメフィラスとの絡みはハイライトだった。居酒屋もブランコも、パパひとりだったら何時間だって見ていられる。あと、竹野内豊も盤石だった。ウルトラマンそれ自体にいたっては、特にスペシウム光線の意匠がすごい。拝む右手から光が生まれ、左手は拳を握り締め、水平に。そこからぐわんとクロスする寸前に美しく開いたかと思うと、びゃーっとシネスコ対角線! よくわからない? ちょっと自分でやってみてくださいよ。重要なのは、当時アニメ合成のために添えられていた左手が、実写の限界から解き放たれて激烈なスイッチの役割を果たしたことなのです。この期に及んでこれを思いつくのかと感心して、何度もまねしちゃったよ。俺はウルトラマンのことは四日に一回ぐらいしか考えない、あとの三日はゴジラのことを考えるのに忙しい人だからわかるのだけれども、毎日ウルトラマンのことを考える人だけがこれを思いつくのだ。色々いらないと思いつつも、ピックアップした数話をどう再構築したのか、それがゾフィとの会話にどう収斂したのか、気がつくと反芻している自分がおり、考えているうちにつながってくるものもあって……本当に困った映画だと思いました。

(評価:★4)

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