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[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)

今まで、リアルな戦争映画について誤って認識していた自分に気がついた。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 以下に感じた内容についてまとめる。

<<舞台と人物の描写について>>

 本作、前半の舞台は主に小さな村の小さな平屋だったが、その狭いスペースを部屋の隅々まで有効的に活かしていた。また争いごとは、村人同士の口論が中心で、それぞれの人物の表情(笑い・悲しみ・怒り・同情・矛盾・・・)を細かく立体的に描いていた。大掛かりなセットと、人物描写より戦闘を重視したハリウッド的戦争映画とは明らかに異なっていた。

<<日本軍の描写について>>

 中国の映画にも関わらず、日本軍の描写があまりにもリアルなのに驚かされた。前半は、パレード・キャンディ・略奪・軍艦マーチに象徴される「形式」だけの駐屯軍を描き、後半では、銃剣道・褌(ふんどし)・規律・軍歌に象徴される「武士道」を重んずる(花屋・酒塚が属する)部隊を描いていた。この2つの部隊は明らかに対照的だったが、どちらにも日本を感じた。製作側の日本軍に対する偏見や、意図的な非難は全く感じなかった。

<<虐殺場面について>>

 花屋が口火を切ったのは、酒塚の全員虐殺の決意を感じた上で、(事後切腹を試みたように)自ら責任をとるべきとの判断からだろう。百姓出身の彼にも古式の武士道を感じた。日本の当時の徹底した軍隊教育を垣間見た。

<<処刑場面について>>

 花屋がアリを払うのは、「一寸の虫にも五分の魂」の武士道の表れ。マーが切られる直前に処刑者を見上げる行為は、武士道の処刑の作法に反する。マーの首が、転がる音を発した後、3回まばたいて微笑むのは、西太后の寵臣の処刑時の挿話と同じだが、当時の中国的な死生観の表れなんだろう。処刑者が日本人で、処刑される側が中国人だということを強く印象づけるシーンだった。

<<鬼の意味するものについて>>

 結局、鬼は何を意味するのか?

 冒頭で花屋と通訳をマーに預けた人物に、その意味が込められていると思う。彼は本作の全ての事件の発端となっていて、自分のことをわたし「我(=ウォー)」と呼び、最後まで謎の人物だった。これは鬼=私(我)=人間=謎であることを意味しているのではないだろうか?

 「我即是鬼」

以上。

(評価:★5)

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