[コメント] ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000/英=独=米=オランダ=デンマーク)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
”遺伝するとわかっててなぜ産んだ?”と、セルマに好意をよせている男でさえそんな風に詰め寄った。 その怖さがなかったら、自分でもこんなに引きずっていなかっただろうに。
目の不自由なセルマがそれを隠しても働かなければならなかった理由は、移民に対する福祉、障害者に対する福祉政策がお粗末だったから。 ”赤ん坊を自分で抱きたかった。”そんなささやかな女性の願いさえかなえてあげられるシステムがなかったから。 ドキュメンタリー風なのは、これが、世の中で起こっている本当のことだから。
安い賃金のみを追求して移民を受け入れていた国々で、移民への福祉政策など問題外なのはもとより、もはや過剰となった労働力をもてあまし、最終的には移民を排斥するようになる。 そして、生産効率のみを追求する今の企業社会のあり方では、同じペースで働けないものが隅っこへ追いやられ、忘れられていく。 まるで、洪水のように、移民があふれる現代、そして弱者を支える公的サービスがことごとく破壊されていく社会の中で、監督は、今、世界中で起こっている排外主義・弱者排斥に警鐘を鳴らしたものと思う。
どうしても忘れられなかったのは、”遺伝するとわかっててなぜ産んだ?”である。 親に障害がある場合、または、生まれてくる子供が障害を持つ可能性がある場合には、産む権利・生まれてくる権利が奪われるのか? 障害をもちながらも必死に働き、子供を育てる、立派なシングル・マザーのセルマが、エゴイストと呼ばれ、社会に迷惑な存在なのか? 視力障害が避けられない息子は、将来社会のお荷物になるからと、生まれてくることをあきらめるべきだったのか? セルマが唯一自分を解放できるのは、何もかも忘れて、歌や踊りで自己表現に集中する瞬間だ。それが贅沢だとか、狂っていると罵られるのだろうか? そんな社会のほうこそ異常なのだと、今も怒りが込み上げるが、それを監督にぶつけて酷評してみた自分が恥ずかしい。
監督はさらに、犯罪が起こり、人々の潜在的差別意識が、社会的弱者を抹殺していく様を、くどい、または、ねちこいとも思えるやり方で執拗に描いていく。 もしも、セルマが”善良”な地元民であったなら、まともな捜査が行われたであろうし、公正な弁護士が紹介されたはずだし、最悪の場合でも、再審を要求する運動が展開されたと思うのだが。
一人ぼっちのセルマに社会は死刑の判決を下した。 その社会が正常であったなら、起こらなかった事件だ。 なにより、最悪な場合でも、絶体絶命の危機から自分を救うチャンスに、息子の将来を心配して貯めた大切なお金を使ってしまうとしても、迷わず”生きること”を選択できたし、また働いて、将来への希望をもつことができたはずなのだから。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (31 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。