[コメント] 佐々木、イン、マイマイン(2020/日)
10代特有の空騒ぎは、無自覚に過ぎゆく時間の恐怖をやり過ごすための自己防衛だった。モラトリアムも終わり、今度は遅々とした時間の停滞に焦り、しこたま飲み、遊び、愚痴り発散した徹夜明けの過剰な充足感と後ろめたさ。そんな空疎の「有意」を私も知っている。
久々に骨のある「男の子」映画を観た。
「女の子」映画の主人公の前に立ちはだかるのは、たいてい世間の因習や常識だ。だから彼女たちは、いつも不機嫌で挑発的だ。女は、そんな古びた価値観の壁を、過去を捨て去ることでひらりと飛び越え前へと進む。女の決断は爽やかでかっこいい。
「男の子」映画の主人公の前に立ちはだかるのは、たいてい過剰な自意識という自我だ。だから彼らは、うじうじと女々しく煮え切らない。男は、そんな面倒臭いナルシズムの壁を、過去の栄光に立ち戻り助走をつけてぶち破る。男の決断は勢いまかせでむさ苦しい。
佐々木(細川岳)との無為の時間から沁み出していた有意。そんな忘れていた「有意」の蓄積を起爆剤にして、湿りきった導火線に再び火を放ち、不器用にだが“停滞”を爆破する“男の子”たちの顛末に、涙をこらえて拳を握りしめた。
この熱量は四宮秀俊が写し撮る画の強度と細川岳が醸す寂しさ、そして、なにより骨太な内山拓也の腕力のたまものだ。「化粧」(中島みゆき)と「プカプカ」(西岡恭蔵)の選曲も嬉しい。
余談みたいな賛辞。内山監督は中野量太監督のスタッフだったそうだ。私は中野監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』にまったく誠実さを感じなかった。私は、この内山監督の喪失の無常を力ずくで推進力に変える真摯さの方を断固支持する。生きることの尊厳に対する真摯さという誠実さのことだ。
最後の余談。「男の子」映画つながりで中岡京平の第3回城戸賞受賞脚本「夏の栄光」の映画化『帰らざる日々』を思い出していた。もう一度観てみたいと思った。
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