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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

これは決して『キング・コング』のリメイクではありません。『Peter Jackson's キング・コング』です。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 特撮好きな人間というのは、自然と業が深くなる。どんなものでも道を突き詰めていこうとするなら、自然詳しくなるし、様々なものを知っていくことになるが、何せ特撮というと、マイナーなイメージがつきまとうし、ものがそうそう手に入らないため、目を皿のようにして映像を観るようになり、本当に細かい部分を観てしまうようになる。

 そんな特撮ファンの中で、これだけは絶対高評価を得られる。と言う作品を挙げるなら、多分突き詰めると二作だけになってしまうだろう。日本における『ゴジラ』(1954)と、海外物なら『キング・コング』(1933)の二作。

 そのどちらも特撮を超えて一般名詞になっているほどの知名度を誇るが、どれだけそれらが愛されているかとも言える。

 私自身だってキング・コング好きか?と言われれば、ためらうことなく「大好き」と言い切ってしまえるが、やはり世の中にはとんでもない人間がいるもんだ。

 今回のリメイクに当たって、この監督だったらやってくれる。という思いと、1976年版『キング・コング』の酷さを経験しているだけに、ちょっと引いている自分もいたのだが…

 なんとも、こいつは凄い。

 ここまでコングを愛してる人間がいたとは。

 コングへの愛情ってやつを判定してやるつもりで観に行ったら、私の想像を遙かに超えていて圧倒されてしまうほどだった。

 確かに『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』で、明らかにこれは『キング・コング』だ。と言うシーンが何カ所かあったのはあったんだが、本当に『キング・コング』作ってみたら、もうその愛情がひしひしと…

 特にコングが出てきた辺りから、「俺はコングが好きなんだ〜〜〜〜」と叫ぶ監督の主張がビンビンに伝わってくる。コングの動きや表情の付け方から立ち居振る舞いまで、きちんとコントロールして、凶暴ながら親しみの持てるキャラクタに仕上げてる。  中盤のアクションシーンもこなれてる。CGが用いられるのは当たり前とはいえ、このところの映画でのCGの使われ方は極めて画一的で食傷気味。しかし、そんなことを考えさせないほどの怒濤の展開に圧倒されっぱなしだった。そうだよ。観客に考えさせるようなCGの使い方をさせてはいけない。ここでは観客を飲み込んでしまうほどの大風呂敷を広げることが重要なんだ。それとさりげないパクリ方も堂に入ってる。実際本作はオリジナルの『キング・コング』だけじゃなく、実に様々な映画を上手い具合に取り入れてる。髑髏島の設定なんかはむしろ『ロスト・ワールド』(1925)だし、勿論恐竜が襲ってくるシーンでは『ジュラシック・パーク』(1993)らしい撮り方をしてる。それにどうもこの髑髏島での原住民の態度なんかは『大怪獣バラン』(1958)そのものなんだよな。監督、これ観てたんじゃないの?NYでの市電を覗くシーンなんかは『ゴジラ』(1954)のようにも思えるし。その辺センス良くまとめられてるので、パクリとは思わないけど。そうそう、勿論オリジナルではカットされてしまったクモガニも元気に登場(笑)。

 キャラも良いチョイスの仕方してる。アン役のワッツは『ザ・リング』での絶叫が記憶に新しいが、本作でも叫ぶ叫ぶ。お陰で私の中では現代のスクリーミング・クイーンは彼女に決まってしまった。脇にブロディなど、さりげなく有名役者ばかりを配しているのも良いんだが、やはり一番はブラック演じるデナムだろう。オリジナルのデナムも強烈なキャラだったのだが、ここでは破滅型のキャラをうまく作り上げていた。劇中説明されていたように、彼は愛するものを破壊せずにはいられない。彼にとって愛すべき対象は、自分の目に触れることなく無くなっていくことに耐えられないのだ。ある意味繊細すぎるほど繊細な性格を怒鳴り声でカバーしているという人間だ。彼にとって、自分の作るべき映画は、全て自分自身で管理しなくては気が済まない。髑髏島でのフィルムが感光してしまった事を知った時に見せる表情にはぞくっとするものを感じさせる。自分のものが自分のものでなくなった瞬間、彼は絶望するが、次の瞬間にはもう新しい“自分のもの”を作り出す。それは神秘のままにいさせるべき存在のコングであり、神秘を人間世界に引きずり下ろしてしまうことが彼の目的となった。彼の中にあったのは決して功名心や金だけではなかっただろう。そうして彼は自分の大切なものを自らの手で引きずり下ろす。それが彼の生き方だったのだ。結局彼はそうして絶望と共に生きる生き方しか選択できないのだ。ここまでのキャラを創造できた時点で、本作の魅力は一挙に増した。

 対して設定なのだが…これに関しては実はあまり褒められないものを含んでいる。

 ジャクソン監督の「俺はコングが好きなんだ!」という主張は、結局彼だけのコングを作ってしまった。本作のタイトルは『King Kong』では駄目。『Peter Jackson's King Kong』でなければならない。

 彼のコングに対する思いは、コング自身の存在意義を変えてしまった。

 オリジナル版のコングとは、あくまで神秘にとどまる。言ってしまえばオリジナル版コングはゴジラ同様破壊神のような存在だったのだ。人間的思いなど全く通用せず、コングは自分の意志だけで行動する。コングにとってアンは単なる牝であったわけだし、アン自身もコングと心を交流させようとはしてない。圧倒的な力を前にして、彼女自身がコングを忌むべき存在と見ているばかり。それをジャクソン監督は人間的存在へと引きずり下ろしてしまった。最後にニューヨークでアンと心を交流させるような真似はさせて欲しくなかった。これこそ、ジャクソン監督が夢見る“コングのあるべき姿”だったのかも知れないが、はっきり言ってそこは観てる方は引いてしまった(とは言え自然愛護の観点からコングを“可哀想な存在”として貶めてしまった1976年版『キング・コング』と較べれば遥かに良いんだけど)。

 それと、コングは銃弾などで倒れてはならない!そう。コングはエンパイア・ステートビルのてっぺんに立ち、アンを握りしめながら雄叫びを上げて、アンを足下に下ろした後、ゆっくりと自分から落ちていく存在であって欲しかった。人間の作り出したもので彼は殺されるのではない。これ以上生きることは出来ないことを自らの手で決定して欲しかったのだ。そして最後に助かったアンが、コングの気持ちってものを自分なりに気づくような演出にすれば…

 私にとってのコングとは、圧倒的な存在であり、人間に斟酌するような存在であって欲しくなかった。人間の心など全く無視。自分のやりたいことだけするような、そんなコングを求めていたのが、全く別物を見せられてしまったという思いが強い。  …とは言え、映画そのものは本当に素晴らしいものであり、たとえこれを除いたとしても、最高点以外をくれる気は全くない。

 とにかく、満足できる良いものを観させてもらった。

(評価:★5)

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