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[コメント] ツリー・オブ・ライフ(2011/米)

近しい人の死か何かを体験して普通じゃない状態で作ったのだろう。支離滅裂な救済の叫びにハイミナール中毒期の太宰の小説が想起される。正気ならなお酷い。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヨブ記が読まれ、家族の再生が語られ、宇宙と自然の崇高が示され、神が呼ばれる。この冒頭の組み合わせでまずウンザリしてしまう。神の前に個人として立つことが、イサク奉献から黙示録まで一貫した聖書の主題であり、ヨブ記はこれを最も先鋭的に問うた箇所であるはずが、畜群道徳系の生温い家族愛の物語に見事に編集されている。これは典型的なアメリカ南部のプロテスタントの論法だ。気持ちが悪い。神が創造した宇宙や自然というプロパガンダは、学校で進化論を教えるななどと真顔で主張する南部の狂信者たちの論法と表裏一体である。

そのように神を畏敬する視点でこの映画を観なさいと、倒叙的に押しつけがましく示される訳で、まあ二時間騙されてみるかと我慢すればこれが何とも中途半端な話。次男の死による悔い改めだよと冒頭で云っておきながら物語が父と長男の葛藤に終始するのもよく判らないが、酷いのはこの悔い改めが父の事業失敗に原因を求めていること。じゃあ事業に成功していればあのまま家族愛と神様はどうでもいいんだねと云うことになり、「世俗」と「神の恩寵」という対立は何も解消されずに終わってしまう。プロパガンダならせめて、事業に成功したけど悔い改めましたという物語にしなければならないのではないだろうか。膝カックンのまとめ方である。それとも、作者は「世俗」の全面的な崩壊を願望しているのだろうか。それならいっそ狂信性が極り物凄さがあるが、そこまで云い切らないところに隠微な政治的配慮まで窺えてしまう。

収束の浜辺はフェリーニの諸作が連想されるが、例えば枢機卿すらも踊りの列に加える、優れて個人的な『8 1/2』とは似て非なるものだ。キリスト教との葛藤を続けたグイドが本作を観たら、余りの盲目さにきっと嗤うだろう。連中は日曜教会ではいつも昼寝をしていたのかと。

華麗な映像は昔に比べてアクションが目減りし、芸術写真家の細切れ映像といった体裁で(子供の影を逆さに撮るシーンなどはっとさせられるが、考えてみればCDのジャケなどでよく見る手法だ)、2時間飽きずに観せてはくれるのだが、しかし過度に美しいのはこれでいいのか。巨大なビジネス街まで崇高に撮られると、「世俗」も美しいなあ、とか、このビルも神の創造物だろうか、とかいうこれまた訳の判らない感想を惹起する訳で、主題を裏切っている。この点も含めて支離滅裂と云わざるを得ない。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)jollyjoker けにろん[*] 水那岐[*] ぽんしゅう[*] DSCH

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